「極刑を下してください」ルフィ事件の実行役、法廷で流した後悔の涙 逮捕後に芽生えた“反省”の理由
●「えっ、なんでやらないんですか」
永田被告人としては千葉・大網白里の強盗でも、狛江の事件でも金品を得られなかったことから、強盗をやめるという選択肢はこのときなかった。 さらなる案件として「キム」から、東京都足立区の2件の強盗を提案され、狛江事件翌日、うち一件について実行しているなかで逮捕された。この足立事件で被告人は初めて、現場に突入する実行役ではなく、運転手役を担っていた。 「キムさんからも『えっ、なんでやらないんですか。根性あるからやればいいじゃないですか』と言われてましたが、やりたくなくて……。ひとつは、狛江の事件でAさんが死んでしまったこと。翌日にニュースを見ながら思ったのは、自分が現場にいたら……、広島の事件でも被害者の方が重体になって、俺のせいだとなってて、またやっちゃうんじゃないか。 自分はもういないほうがいいんじゃないか。僕がリーダーじゃなかったらこんなことにならなかったんじゃないか。もう実行犯は嫌だと思ってキムさんを説得して運転手役になりました」 被告人は当時「胴元になりたいという気持ちがすごくあった」という。「キム」への憧れも、その気持ちを後押ししたようだ。 「強盗は自分でやるとパクられる可能性が非常に高い。遠隔で指示出すか、犯罪をするかと考えたら指示役が一番ベスト。正直僕はキムさんに憧れてました。ユーモアがあり、面白く、頭がよく、格上の犯罪者として理想。こんな人になりたいなという憧れが正直ありました」 しかし胴元になるという目標は潰えた。足立区の事件で実行犯らを家人宅前で降ろし、近場に車を停めているところで警察に職務質問され逮捕に至った。
●逮捕後に生じた変化「ごめんなさいしか言えないです」
「正直、大網白里の事件から、強盗で得た金でヤミ金の借金を返して、競艇をやって、パクられるからガラを隠して……と、胴元になろうと、指示役になろうとやっているのでずっと犯罪のことしか考えてなかったです」と、逮捕に至るまでの心境を振り返るが、逮捕後はこうした気持ちに大きな変化が生じたという。 各事件の取り調べにおいて、捜査員らと関わり、また拘置所内で被害者の心情や加害者家族の実態が記された書籍を読み、篤志面接を受けるなどして、少しずつ考えが変わってきたと語る。 「捜査の過程で出会った人にかけられた言葉や、篤志面接などで、被害者が失ったものの大きさがわかりました。また自分が家族や友人の優しさを感じたように、いうまでもなくそれは被害者の周りにもあって、彼らの家族にもあった。それを僕が突然奪ってしまった……」 証言台に肘をついて泣き始めた被告人は「本当は泣くつもりじゃなかった」と言いながら、裁判の証拠になっていない関係者らの調書も読んだことを明かし、さらに続けた。 「広島の被害者の方でいえば、犯行前の状況がよく書かれている調書を読みました。お酒を飲みに行くのが好きで、釣りやテニスが好きだった……もう今はそういうことができなくなってると……。こんな未来を奪った犯人を許せないと……。 他の事件の調書でも、犯人に今までの日常を理不尽に奪われた苦しみ、悲しみが続く。悔しくて悔しくてたまらないと言っていました……言いたいことはいっぱいありますが言葉にならない。ごめんなさいしか言えないです」