ブレイキンは“アメリカ生まれではない” ロス五輪不採用の文化的背景と新たな鉱脈を探る
パリ五輪(『第33回夏季オリンピック競技大会』)は閉幕したが、新競技となったブレイキンへの反響は続いている。日本人のメダル獲得は女子のAMIが金。男子で期待されていたShigekixは4位に終わり、涙でまぶたを滲ませた。勝負がすべてとはいえ、私たちの記憶がその輝きを消すことはない。 【写真多数】ブレイキンなど各ジャンルで盛り上がるプロダンスリーグ『D.LEAGUE』決勝戦 だが、現実も甘くはない。早くも赤い点滅が知らせる。次回、2028年のロス五輪(『第34回夏季オリンピック競技大会』)ではブレイキンの不採用が決まっていたという。これには不満のマグマが著名人を動かした。コンコルド広場で観戦していたLL・クール・Jが吠えるーー「復活を再考してほしい」。 ■発祥国はアメリカなのか? ロサンゼルスでは三度目となる五輪開催。商業五輪のルーツにあたる前回(1984年)、そのシンボルとなった通称ロケットマンが登場した開会式が記憶に新しい。じつは閉会式ではライオネル・リッチーとともに市内のBボーイたちがステージを埋め尽くし、今大会を予言するような光景を電波に乗せていた。 40年後、それでも西の女神はウィンクをしなかった。「発祥国なのに?」、多くの人が肩をすくめるのは当然だろう。 だが、ここで一旦クールダウンしなければならない。では、アメリカではなぜヒップホップダンスが必修化されていないのか。 学習指導要領の改訂により、2008年から日本の中学校保健体育において必修化となったダンス(創作ダンス、フォークダンス、現代的なリズムのダンスから各校が選択)。そのうち、“現代的なリズムのダンス”はヒップホップが中心となる。ブレイキンとは今でこそ違うが、いずれもブレイクダンスから派生したもの。ハーレムのギャングが縄張り抗争の前哨戦として始めたゲームがダンスへと発展したものだが、そこには人種間の確執が常に横たわり、そのボタンを押せばいつでも危険なゲームが幕を開ける。つまりブレイキンの生地は“ストリート”であって、地球儀から探せるようなものではない。 ただし最大の理解者であろうクール・Jの声明には深い意義がある。ラップをする、ダンスをする、いずれの動機にも人種問題への葛藤があるからだ。 それに俳優でもある彼が、社会の鏡である映画から学んでいないはずがない。その名も『Breakin'』(1984年)は、主人公のジャズダンサーがブレイクダンスのクルーに参加するという譚が表向きで、内情は白人との壁がテーマにあった。ジャズダンスブームの契機となった『Fame』(1980年)は爽快な青春群像劇だが、その裏で、肌の色が異なるダンサー同士を逢引きさせた脚本家の意図を読み過ごしてはならない。そしてダンス映画のすべてが模範とする『ウエスト・サイド物語』(1961年)。移民社会にはびこる敵対、憎悪が、スリリングなカメラワークとオーケストレーションの力で、感動にもうひとつの意味を与えていた。 ■採点基準の曖昧さ 採点の不透明さを指摘する声も多い。今回、準決勝で敗退したShigekixは独自性と多様性でポイントを落としている。いずれもセーブした感があり、彼の実力に欠けているとは言い難い。だが、5つの基準(他・技術性、完成度、音楽性)を意識しすぎたのか、小さくまとまってしまった。その反動だろう、3位決定戦では大技を連発するも、審査員の顔色を変えるにはまだ何かが足りなかった。 改良の余地はある。相対評価ではなく個人競技なら彼の涙も見ずに済んだに違いない。あれも前ロス五輪だったが、鉄棒の金メダリスト 森末慎二のそつのない演技にShigekixのムーブは重なる印象がある。