対戦車能力が強化された対機関銃砲【11年式平射歩兵砲】
かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。 1918年に配備が始まった狙撃砲よりも少しあと、その後継に位置付けてもよいような、より軽便で搬送が容易な狙撃砲に類似する対機関銃座兼対戦車の歩兵砲の開発が始まった。そして、歩兵とともに行動することと、直接に目標を狙って撃つことから平射歩兵砲(へいしゃほへいほう)の名称が与えられた。 1922年に制式化され、11年式平射歩兵砲と命名された本砲は、砲腔口径37mm、砲身長28口径(1040mm)と、砲身自体のスペックは狙撃砲と同様である。そして前脚1本と後脚2本の3脚式砲架(ほうか)を備え、軽量化されており、砲重量は93kgと100kgを切った。 そのため輸送方法には、分解して軍馬1頭に載せる方法、キャリングハンドルを砲架に差し込んで4名で人力搬送する方法、分解して7名がそれぞれの部位を人力搬送する方法があった。 しかし、制式化当初はさほど問題にはならなかったものの、やがて使用する砲弾の威力不足が問題視されるようになる。 37mmという小口径なので、機関銃座を撃つ榴弾(りゅうだん)に充填されている炸薬(さくやく)量が少ないため、砲弾炸裂時の有効範囲が狭いことや、榴弾が徹甲弾(てっこうだん)と兼用なので、急速に進歩する戦車の装甲厚の増加に対応できないことなどである。 そのため砲弾の改良が進められ、より高威力の徹甲弾や榴弾が開発されたが、砲自体が軽量化目的によりある程度以上の高圧で砲弾を撃ち出せないこともあり、砲弾の改良だけでは限界が見えていた。 こうした事情もあって、狙撃砲やこの11年式平射歩兵砲は、同じ37mm級の口径ながらより高圧に耐えられて砲弾を高速で撃ち出せる堅牢な砲身を備えた対戦車砲と、砲弾のスピードは遅いものの70mm級で炸薬充填量の多い榴弾が撃ち出せる中口径歩兵砲、この2種類の砲に分化して行くことになる。 一方、機関銃座をはじめとする歩兵の野戦防御陣地や敵戦車への対策として、後年、アメリカ、イギリス、ドイツではバズーカやPIAT、パンツァーファウストといった、歩兵携行式の軽便な対戦車兼対陣地用の兵器が出現することになるが、それはまだかなり先のことである。
白石 光