大山のぶ代さんが託した想いは永遠に 『ドラえもん』だけにとどまらない名演の軌跡
2024年はアニメ業界や洋画吹替で活躍した声優の訃報が続き、ファンにとっては悲しい出来事が続いている。10月11日には、9月29日に大山のぶ代さんが亡くなったことが公表された。大山さんは俳優やタレント、料理研究家としての活動も多かっただけに、「声優」という枠組みの中だけで語って良いものか迷うところはあるが、20年以上も出演し続けた『ドラえもん』の仕事ぶりが忘れられない人も多いだろう。 【写真】『映画ドラえもん』45周年ビジュアル ドラえもんを卒業して7年後に大山さんは認知症を発症され、介護を続けながら妻のことを発信していた夫の砂川啓介さんも2017年にすでに亡くなっており、ここ5~6年は大山さんのことを知る機会がほとんどなかった。久しぶりにメディアでその名前を目にする機会が、このような悲しいお報せというのはつらいものだ。 10月11日に大山さんの訃報に触れた各媒体でも大きくドラえもんの声優として、その死去を惜しむ文が目につく。それも無理からぬことで、1979年のテレビアニメ放送開始から2005年の勇退まで実に26年! テレビアニメが始まった翌年すぐに映画『ドラえもん のび太の恐竜』(1980年)が公開され、『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(2004年)まで26本の長編映画と併映の短編映画、それに様々なテレビスペシャル、ゲームでドラえもんを演じ続けた。 世間的には大山のぶ代さんのイメージは、ドラえもんの声の人であろうが、スーパーロボットアニメファンなら『無敵超人ザンボット3』(1977年)を推す人もいるだろう。富野喜幸(現・由悠季)監督が『機動戦士ガンダム』よりも前に制作した作品だが、家族や仲間を次々失い、傷つきながら辿りついた敵の正体に関する種明かしと、大山さん演じる主人公・神勝平の生還を迎える人々のバックにエンディングテーマ「宇宙の星よ永遠に」が流れる最終回は、いまもって多くのアニメファンに支持されている。 その声質からアニメでは少年役が多かった大山さんは、ちばてつや原作『ハリスの旋風』(1966年)と『国松さまのお通りだい』(1971年)の石田国松役から、海の魚たちを擬人化したコメディ『ハゼドン』(1972年)のハセドン役、それになんといっても長寿アニメ『サザエさん』の磯野カツオ(初代)も演じているので、まさにアニメがテレビまんがと呼ばれていた時代から多岐にわたる活躍を見せていた。 『ドラえもん』の出演が長く続くにつれ、ドラえもん以外のキャラクターを演じることは少なくなったが、『ダンガンロンパ』のアニメ・ゲームにおけるモノクマ役は晩年の代表作といえるだろう。『ドラえもん』の声優交代に伴ってメディアへの露出は減ったが、2015年開催のイベント「ドラえもん映画祭2015」に登壇した小原乃梨子が代読する形で、『ドラえもん』現キャストへエールを送る手紙を綴っており、これが『ドラえもん』に関わる最後のコメントになってしまった。現キャストたちは、大山さんの手紙と小原さんからの激励を受けて涙を流した思い出深い催しであった。 大山さんは亡くなったが、『ザンボット3』、『ドラえもん』、『ダンガンロンパ』ほか、数多くの作品を通して大山さんがファンに与えてくれた笑いや感動、興奮はいつまでも色褪せることなくファンの胸に残っていく。 アニメや漫画は、その作品のことを忘れない人がいる限り、その作品がいつまでも愛され語り継がれて行く限り、関わった人々の“想い“もまた、いつまでも消えることがない。大山のぶ代さんが遺してくれた沢山の作品をファンが大切にしている限り、大山さんが作品に託した想いもまた永遠に不滅なのだ。
のざわよしのり