菊地成孔「徹底した個人主義こそが集団主義を活性化させる」 AI・サブスク時代に根付いた“クリシェ”への姿勢
クリシェに従っている限り、何もクリエイトしていることにはならない
ーー「天使乃恥部」に収録された新曲は、「闘争のエチカの歌」(作詞:菊地成孔/作曲・編曲:菊地成孔、高橋大地)、「Henri Lefebvre」(作曲・編曲:丹羽武史)、「小鳥たちのために 第二番」(作曲・編曲:小田朋美、菊地成孔)、「MY chosen ode to you/私が選んだ貴方への頌歌」(作曲・編曲:ヴァルダン・オヴセピアン)、「天使の恥部」(作詞・作曲・編曲:菊地成孔)。 菊地:小田朋美さんとの共作曲(「小鳥たちのために 第二番」)はコロナ期直前からレパートリーで「次に出すアルバムには入れたい」と思っていました。新音楽制作工房(菊地が代表をつとめる音楽制作ギルド)の高橋大地との共作曲(「闘争のエチカの歌」)も、『岸辺露伴は動かない』のレパートリーで、すでにライブでやっていました。書き下ろし新曲は、僕は1曲のみ、あとはヴァルダン・オヴセピアン、新音楽制作工房の丹羽武史に頼みました。 ヴァルダンの曲(「MY chosen ode to you/私が選んだ貴方への頌歌」)は静かで美しい楽曲ですが、丹羽の曲「Henri Lefebvre/アンリ・ルフェーブル」はかなりプログレッシブな曲になりましたね。この曲は演奏の難易度が飛びぬけて高くて、レコーディングは本当に大変でした。合奏でのレコーディングができないので、各パートを重ね録りし、僕が修正や編集を施しています。 先ほど言ったように現在のペペのメンバーの演奏力は素晴らしいですが、「レコーディングがきついな」という体験は久々だったと思います(笑)。僕ももちろんそうで、ぜんぜん吹けなかったんですよ。それこそ一小節ずつ録るしかなかったんですが、完成した楽曲を聴いているうちに覚えてしまって、鼻歌みたいに吹けるようになってきて。レコ発ライブ(10月24日、25日/有楽町・アイマショウ)では、初めて合奏を経験することになります。 ーーリスナーもおそらく、似たような経験をすることになると思います。最初は難解な印象なのですが、何度もリピートしているうちに耳が慣れてきて、楽しく聴けるようになるといいますか。 菊地:90年代まで「キャッチー」は全盛でしたが、「覚えるのに時間がかかるんだけど、結局はポップだよね」ということもありうる。遅効性というか、漢方薬みたいにジワジワ効いてくるポップもあるし、ペペではそれをやっているのかなという気もします。アルバム『天使乃恥部』でいえば、「色悪」(『オリジナル・サウンドトラック「機動戦士ガンダム サンダーボルト」2』収録曲のセルフカバー)は即効性があり、「Henri Lefebvre/アンリ・ルフェーブル」は遅効性ということになるのかなと。 ーーなるほど。ちなみに昨今はTikTokの浸透などもあり、「曲は最初の数秒で判断される」という言説もあります。その現象については、どう思われますか? 菊地:即効性を求めるのは人間の性で、どれだけスローやサステインがもてはやされようと、速度は上がる一方です。インターネットだって最初はダイヤル回線で「プー、トゥルルル」とつながるまでに時間がかかって大変だったじゃないですか(笑)。今はそんなの誰も待てないし、ものすごく大量の情報を取り込んでは捨てている。「音楽は最初の数秒で判断されてしまいます」というクリシェが生じてもおかしくはありません。しかし、スローとかサステインとかと全く違う概念として「遅効性」はあると思っています。 話が少しズレるかもしれませんが、この9月に久々にX(旧Twitter)をやったんですよ。ドワンゴのブロマガをやっていたんですが、サイバー攻撃で出せなくなってしまい、その間、久しぶりにXでもやってみるかと。そのときも当然のように「今の若い人は長文は読みません」「短文のブロックをいくつも作ったほうがいい」「それが若者に対するマーケティングです」みたいなことを言われましたが、やってみたら長ければ長いほど閲覧数平均が上がりました。すべてにおいてそうなんですが、僕がやることに追随する人が大勢出てきて時代が変わる、みたいなことは起きなくて、「俺は好きにやるけどね」というだけなんですよ。何が言いたいかというと、徹底的な個人主義こそが集団主義を活性化させるということ、あと、クリシェは存在するが、絶対ではないということ。 ーー音楽も同じだと。 菊地:このバンドが20年も続いていること自体がそうですよね。最初期の頃は「5、6人の小編成にして、レパートリーをアレンジし直してツアーを回りませんか」といった案もあったんです。マネージメントを考えると当然ですが、それも一つのクリシェですから。「俺は異端児だから、クリシェなど一つも飲むものか」と言っているわけではないです。ただ、クリシェに従っている限り、どれほどセールしようと、何もクリエイトしていることにはならない。クリエイトだけが世の中を変えてきたし、自分も自分なりに一つ一つやっていこうかなと。最近は自分で動画を作ってるんですけど、倍速視聴しなくていいように最初からものすごい早口で喋ってるんですよ(笑)。 ーーコスパ重視の風潮に対抗して(笑)。 菊地:なんだってやってみせるしかないなと。 ーー『天使乃恥部』のフィジカル商品には、楽曲データのほか、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールをイメージして制作された香水、さらに特典USB等がセットになっています。 菊地:メインのコンテンツが香水と映像ということですね。DC/PRGが解散したときに指人形を作ったんですが(DC/PRG結成20周年記念ツアー『20YEARS HOLY ALTER WAR-MIRROR BALLISM Tour』のライブ音源を収めた作品の特典として、菊地成孔、大儀見元、坪口昌恭、津上研太の指人形4体セットを制作)、今回もいろいろな案があって、たとえばオリジナルのスカーフというアイデアもあったんだけど、ペペ・トルメント・アスカラールに合うのは香水じゃないかなと。 映像も大変充実しているんですが、パッケージのブランディングを支配しているのは、やっぱりオリジナルの香水ですね。音源はすでにサブスクで解禁されているので、どなたにも聴いていただけますが、音楽史上、バンドの音楽を香水化したパッケージというのは無いので。 先ほども言ったようにCDが売れなくなって、グッズなどが発達したわけですが、ニッチというか、「ちょっと興味がある」くらいで手を出せないくらいの価格のアイテムを作ってみたくて。「俺は香水なんか要らない」という方も多いでしょうが、「一度使ってみたら人生が変わるかもしれない」ものの一つです。勿論、香水のクオリティが音楽のクオリティと等しくないと意味はありませんので、調香師の方と入念に傑作を作りました。全作品を聴いていただき、サウンドと香りを揃える。というトライをした結果、驚くほどケミストリーがありました。 香水をどうやってPRするか考えるのも楽しいんですよ(笑)。PR動画を何本か作ったんですが、香水なんて売ったことはないし、「どうやったら興味深く観てもらえるかな」みたいなことを考えて。僕は、幸にして自分の音楽には絶対の自信があります。他のことは何の自信もありません。実質的に中卒ですし、兄貴(=小説家の菊地秀行氏)みたいな資産があるわけではないし(笑)、男として子供を育てた経験もないままこの歳になってしまいまして、人間は何か一つだけ自信を持てるものがあればいいと思いますね。 ーーアルバムのジャケットは新音楽制作工房メンバー制作によるAI画像だとか。 菊地:僕はテクノロジーとの接し方が極端で、MIDIはまったく使ったことなくて、Pro Toolsは使い倒していて、スマホは持ってないという調子なんです。AIは出現した瞬間から見ていて、使用にあたって何の心理的障壁はありません。新音楽制作工房にもAIを使えるメンバーがいて。AIというのは、MIDIやサンプラーと違い、音楽用だけでなく、すべて用という点が素晴らしいし、恐ろしいと思います。『天使乃恥部』には香水のためのジングルも収録されますが、それはAIで作ってますし。 ーーそうなんですね。 菊地:今はおそらく、AIの黎明期で。リズムマシンとベースマシンが出てきた時期もそうですが、新たな機材やテクノロジーの黎明期には、それを使った決定版と呼ぶべき作品が必ず出てくる。しかもAIはとんでもない速さで進化しています。シンセサイザーが新幹線だとしたらAIは光の速さで進化するので、何が起こっているかもそのうちわからなくなるでしょう。そのなかで最初の決定版を作りたいと思っています。ペペ・トルメント・アスカラールの今回のアルバムは、いよいよAIを使った制作に着手する前夜の作品と言えるでしょうね。あくまで録音作品の話ですが、人力で作曲され、優れたミュージシャンが必死で演奏するという行為をいつまで続けるか。実際、『天使乃恥部』は着想から完成までに3年かかっています。「敢えて3年かけた」と言っても良い。 まもなく、クリエイターという概念すら消え、誰でもAIで音楽や音楽以外を秒速で作る時代が来るかも知れない。法規制や課金の跳躍的な高額化がストッパーになるとはとても思えません。その予兆が、きちんとスコアを書き、きちんと演奏するという行為への執着、そもそもの属性だった遅効性を結晶化させた作品になっていると思います。
森朋之