「道徳は非合理で競争に不利」…人間にも共通する”利己的な個体が得をする”生物界の残酷な宿命
ワクチンの接種拒否問題
コロナ禍のころ話題になったワクチンの接種拒否問題も、もとをたどれば集団行動の問題に行き着く。 主張される予防接種のリスクのほとんどは空想の産物に過ぎないのだが、小児科の待合室で他人の病弱な子供たちに囲まれて半日を過ごしたいと願う者がいるだろうか?そのあげくに、自分の子は腕に注射針を刺されて泣き叫ぶのである。 もしほかのみんなが予防接種を受けるのなら、集団免疫の利を享受できるため、自分の子にそんなつらい思いをさせる必要はない。接種率が集団免疫に必要なレベルを下回れば、感染者が増えるため、個人として予防接種を受けることがふたたび合理的になる。 「反ワクチン主義者」は―中身のない陰謀論を信じやすいという欠点はあるが―非合理的なのではなく、非道徳的なのだ。自分で参加することなしに協調する集団から利益を得ようとするからだ。
協力の謎
生物界では、あらゆる場面に集団行動問題が潜んでいる。カリフォルニアのセコイアの木は日の光を求めて100メートルを超える高さに育つ。頂点を目指す非効率的な競争をやめて、50メートルの高さで全員が共存する道を選ぼうとはしない。 集団行動は不可能ではない。しかし、ここまで紹介してきた例と集団行動問題の根底にあるロジックから、協調し合える「私たち」の形成を阻む強力な障害が存在すること、そしてその障害を取り除く普遍的な方法は存在しないことがわかるだろう。協力関係は悪用されやすいという問題を解く方法は存在しない。 このことは、人間のモラルの進化にとって、何を意味しているのだろうか?人間に似た生物の小さなグループを想像してみよう。そこでは誰もが自分のために戦い、自分の利点にしか興味がない。協調性は存在しない。そこに偶然、遺伝子の突然変異により、ほかよりもほんの少しだけ利他的で協力的な性質をもつ個体が生まれる。この個体は原始的な道徳心をもち、場合によっては、他を悪用したり自分を優先したりすることを避ける行動を選ぶ。 そのような変種が優勢になることは決してなく、リソースや生殖をめぐる闘争で敗れ去るだろう。強烈な選択圧にさらされるため、この変種が集団内で広がることはない。誰もが互いに協力する逆パターンの集団も、同じ結果につながる。突然変異で生まれたほかのメンバーよりもわずかに非協力的な個体は、競争で有利な立場に立つ。その個体がより多くの子孫を残し、その遺伝子は集団内で急速に広がるだろう。 つまり、進化における選択圧は、つねに道徳的な行動に不利になるように働くということだ。これこそが、協力の謎なのである。 『「どんな協力関係も理論上崩壊します」…簡単なゲームでも分かってしまう人間の「集団行動心理」』へ続く
ハンノ・ザウアー、長谷川 圭