数々の女性を虜にしたアラン・ドロンの「生涯の恋人」とは?
8月18日に亡くなったアラン・ドロン。ブール=ラ=レーヌの精肉業の見習いだった彼が、ヴィスコンティやアントニオーニ、ゴダール、マルといった偉大な監督たちのもとで伝説的な俳優となるとは誰が予想しただろう。傲慢なほどの美しさで人々を魅了したアラン・ドロンの人生とキャリアを、女性との関係から振り返る。 【写真】ロミー、ミレーユ、ナタリー・ドロン.......アラン・ドロンと美しき女性たちの愛の物語を振り返る 「そもそも私のすべては、女性のためにあるのです」と2018年のインタビューで語っていたアラン・ドロン。1957年にキャリアをスタートさせ、2024年8月18日に88歳で亡くなるまで、ドロンは伝説的な女優たち、そして数え切れないほどの女性ファンを魅了してきた。 彼の最初の出会いは21歳の時、女優ブリジット・オベールと。そして彼に映画界の扉を開いたイヴ・アレグレの妻ミシェル・コルドゥエ、女優オルガ・オルスティグと続く。
生涯の恋人。
1958年、アラン・ドロンは「生涯の恋人」となる女性に出会う。20歳のロミー・シュナイダーは、『プリンセス・シシー』(1955年)で一躍有名になっていた。ピエール・ガスパール=イユ監督の映画『恋ひとすじに』の撮影現場で出会ったロミーは、アラン・ドロンに魅了される。1年後、彼らはルガーノ湖のほとりで婚約した。しかし1963年、ロミーに別れの手紙が届く。世間の注目を集めたカップルはあえなく破局。しかし1969年、ジャック・デレ監督の映画『太陽が知っている』でふたりは再び共演することになる。 1962年、アラン・ドロンは共通の友人を通じてフランシーヌ・カノヴァ(後のナタリー・ドロン)と出会う。2年後の1964年8月13日にふたりは結婚。同年9月30日には、ロサンゼルスでアントニー・ドロンが誕生。しかしまたもや、ある女性との出会いがすべてを変えようとしていた。それが、女優ミレーユ・ダルクだ。ミレーユの美しさと才能に感銘を受けた彼は、1969年の映画『ジェフ』で彼女に役を与えた。ふたりの愛の物語は、15年間続いた。
エピローグ
1987年、アラン・ドロンは21歳のオランダ人モデル、ロザリー・ファン・ブレーメンと『Comme au cinéma』の撮影現場で出会う。ふたりは恋に落ち、1990年11月25日に娘アヌーシュカが、1994年3月18日にアラン=ファビアン・ドロンが生まれた。しかし2001年、アランはロザリーとのロマンスに終止符を打った。その後、出会ったヒロミ・ロランは2023年、アラン・ドロンと「33年間の恋愛関係」にあったと主張している。
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