がん細胞・DNAレベルの情報を感知する“分子学的マーカー” リキッドバイオプシーの発展性
がん治療の最前線、米国で働く日本人医師が現場から最新の情報を届ける「USA発 日本人スーパードクター これが最新がん治療」。テキサス州ヒューストンにある米がん研究最大の拠点「MDアンダーソンがんセンター」で勤務する腫瘍外科医、生駒成彦医師のリポート第8回は、血液や体液を使ってがんを検出する「リキッドバイオプシー」です。 【血液や体液から解析 体への負担減】 今回はがんの最新治療を支える「リキッドバイオプシー」についてお話しします。 リキッドバイオプシーとは、血液や体液(リキッド)を採取して解析することで、がん細胞あるいはそのDNAやRNAを検出し、遺伝子異常の有無や種類を調べたりできる検査技術のことです。実際のがんが存在している部位から検体を取って病理検査をすることを外科的バイオプシー(生検)と言いますが、それを血液・体液を採取するだけでできてしまうことで、体に負担の少ない検査を簡便に行えるメリットがあります。 リキッドバイオプシーの概念はさほど新しいものではなく、1869年には血液中からがん細胞が検出できたという報告がされています。近年では技術の進歩により、体液はがん細胞を検出できるだけでなく、遺伝子の働きを制御するマイクロRNA(miRNA)や生命活動を支えるタンパク質や代謝物など多種多様な物質が含まれており、体の状態を知るための優れた情報源となることが分かってきました。特に、患者さんのがん細胞・DNAレベルの情報を感知できる“分子学的マーカー”として、最前線のがん治療を支える技術として発展しています。 がん細胞(あるいはそのDNA)が血液から検出できることで、がんの早期発見だけでなく、特定の遺伝子変異を検知することで最適のがん治療の選択、その治療の効果判定、そして再発予防のための治療方法の選択に役に立つと考えられています。例えば膵臓(すいぞう)がんでは、「KRAS」や「TP53」を代表とするさまざまな遺伝子変異が検出されることが分かっていますが、その変異のパターンによって適切な抗がん剤の種類が変わります。 当院に受診されたクリスさんは、発見時に肝臓に転移が見つかった膵臓がんの患者さんです。リキッドバイオプシーの検査で通常の膵がんでは見られない、BRCAという乳がんでよく見られる変異が見られました。当院の腫瘍内科で、臨床研究の専門家と相談し、この遺伝子変異に有効であると考えられるタラゾパリブとクリゾチニブという特殊な分子標的療法の組み合わせで治療を開始したところ、転移病巣は消失。半年後に膵臓の病変を手術で切除することに成功しました。今は手術後2年ほどたっていますが、無再発で健康に過ごされています。 このように特定の遺伝子変異に対しての新薬の研究が日進月歩で進んでいます。そのような遺伝子変異を検出できるリキッドバイオプシーによって、患者さんに最適なテーラーメード治療が、従来のバイオプシーよりも体に負担の少ない形で可能となっているのです。 【「唾液から解析」日本発の技術に注目】 米国ではリキッドバイオプシーとして、血液を使ったがんDNA検出キットがいくつも認可されていますが、最もよく使われているのが米国ナテラ社のシグナテラです。シグナテラの強みは、患者さんのがん細胞の遺伝子変異パターンを把握して、患者さんに特化したDNAパターンを作ることで、非常に高い確率で(大腸がんでは97%の精度と報告されています)血液検査だけで再発を検出することができるのです。 日本発の技術としては、唾液を使ったさまざまな代謝物(メタボローム)を人工知能(AI)を使って網羅的に解析する、サリバテック社(山形県)の「サリバチェッカー」というスクリーニング検査が注目を浴びています。唾液の組成は個人間で異なり、採取する時間や体の水分状態等の違いにより代謝物の濃度が変動してしまいますが、サリバチェッカーではAIを使うことで、その患者さんに特化した複雑なメタボロームのパターンを認識し、がんが発生した時の変化を唾液検査から見つけ出すことが可能となりつつあります。 【手術できなかった患者完治目指せる】 がんは必ず治る病気ではありません。1つの抗がん剤が全員に効くわけではありません。それでもがん医療の技術は進歩を続け、それぞれの患者さんに最適のスクリーニング、そしてテーラーメードされた治療をお届けする時代になっています。今までであれば手術をすることもかなわなかった患者さんも、クリスさんのように完治を目指した治療をすることができるようになりました。リキッドバイオプシーの今後のさらなる発展に期待大です。 ◇生駒 成彦(いこま・なるひこ)2007年、慶大医学部卒。11年に渡米し、米国ヒューストンのテキサス大医学部で外科研修。15年からMDアンダーソンがんセンターで腫瘍外科研修を履修。18年から同センターで膵・胃がんの手術を専門に、ロボット腫瘍外科プログラムディレクターとして勤務。世界的第一人者として、手術だけでなく革新的な臨床研究でも名高い。