「手は眼だ」 難病で視力失うも、創作を諦めなかった彫刻家・三輪途道
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
群馬県下仁田町にお住まいの彫刻家、三輪途道さん・57歳。三輪さんは中学生のころ、「仏像」に魅かれて彫刻に興味を持ちました。修学旅行の奈良・法隆寺で「百済観音像」を初めて目にしたときは、大感激だったそうです。 三輪さんは、美術大学の彫刻科に進学。藝大の大学院で仏像を研究したのち、木を彫って彫刻をつくる「木彫」作家の道を歩み始めます。当初はご主人と東京都内にアトリエを構えていましたが、時間と音を気にせず創作に没頭できる環境を求め、ふるさと・群馬に戻りました。 そんな三輪さんが30代後半に差し掛かったころ、目に異変をおぼえます。暗いところにある物が見えにくく感じるようになりました。お医者さんの診断は「網膜色素変性症」。日に日に視野が狭くなり、進行すると視力を失ってしまうこともある難病でした。 「視力をフルに使って創作するのが彫刻」と考えていた三輪さんは落ち込みます。しかし、何かをしていないと落ち着かない性格もあって、すぐに気持ちを切り替えました。 「落ち込んでいても仕方がない。次のことを考えよう!」
覚悟を決めた三輪さんは、他の人に迷惑はかけられないと、車の運転を諦めます。でも、彫刻作品は諦めずにつくり続けました。ときには手元がよく見えず、木を削る電動のこぎりに手を引き込まれ、指がちぎれそうになったこともありました。 ただ、木材を加工するには「柾目(まさめ)」や「逆目(さかめ)」など、木の細かい繊維を読まなくてはなりません。50歳を過ぎたころ、ついに木目の様子がよくわからなくなってしまいました。デッサンで気持ちを紛らわせていた三輪さんは、ふと美大の試験のことを思い出します。 「木は無理でも、粘土なら何かつくれるんじゃないか?」 三輪さんは、粘土を使った創作活動に本腰を入れることにしました。試行錯誤を繰り返しながら粘土による創作に取り組むうち、指先の感覚は日に日に研ぎ澄まされ、次第に「手は眼だ」と感じるようになっていきます。やがて、素材となる粘土にピッタリ合った台座を使って形をつくれば、ほぼ頭のなかに描いた設計図通りの作品が出来上がるようになりました。 色を塗る作業は、家族がサポートしてくれます。クレヨンを使う場合は、あらかじめ右に赤、左に青、ポケットには黄色などのように色のある場所を決め、その通りにクレヨンを置いてもらいます。そして、指先の凸凹と頭のイメージを頼りに、一気に集中して色を付けます。