大谷翔平、プロ初本塁打は「やっとか」の開幕92打席目…翌日はトラブル発生
ドジャース・大谷翔平投手(29)が12日(日本時間13日)、本拠地・パドレス戦に「2番・指名打者」でスタメン出場。初回に今季4号となるソロを放ち、松井秀喜氏の持つ日本人歴代最多メジャー通算175本塁打に並んだ。5回先頭の第3打席では左翼線への二塁打を放って日米通算1000安打も達成。さらに7回1死の第4打席で松井裕樹投手から同通算1001安打目となる右翼線への二塁打をマークした。 大谷の初本塁打は日本ハムで新人だった13年7月10日、楽天戦(Kスタ宮城=当時)で生まれた。すでに投手として2勝を挙げており、開幕から92打席目での一発に「やっとか、という感じ。遅かったなと思います」とコメントしていた。翌日の練習中に顔面を骨折。復帰した同14日に代打で札幌ドーム初アーチを描き、松井秀喜以来の高卒ルーキー2戦連発を記録した。初本塁打当時の原稿を再録する。 * * * * * 日本ハムの二刀流ルーキー・大谷が、プロ初本塁打を放った。楽天戦に「7番・右翼」で先発出場し、1点リードの4回1死三塁で、楽天の永井から右翼席中段へ1号2ラン。開幕から通算92打席目での一発となった。 走り出したのもつかの間だった。大谷はすぐにゆったりとした足取りに変えた。両手に残る感触でフェンスオーバーを確信したからだ。92打席目での初アーチ。「やっとか、という感じ。遅かったなと思います。手応えは最高でした」。胸を張ってダイヤモンドを回った。 1点リードの4回1死三塁。2ボールから、永井の内角高めの直球に腕をうまく畳んで振り抜いた。右翼席中段に飛び込む推定125メートルの右越え2ラン。「走っているときは(初本塁打と)忘れていたけど本当にうれしかった。一発のない打者は怖くない。長打もあるんだよ、と見せられたので(相手の)データも変わってくると思う」。8回先頭でも左腕・長谷部から中前打。左投手から8打席目での初ヒットだった。 岩手・花巻東高時代は56本塁打を放ち、内角球を得意としていたが、プロの速球に詰まり、腰が引けることも目立った。結果を残すため、逆方向への打撃に徹した。「もともと内角は好き。プロで打率を残せる確率が高い、左中間の打球が多くなった」。弱点克服のきっかけとなったのが9日の楽天戦(東京D)。田中に内角を攻められたが、第1打席では144キロのカットボールをよけることなく左膝にプロ初死球。第2打席では四球を選んだ。「それを見ていたので素直にいけたのかなと思う」。マー君で“目慣らし”を終えていた。一夜明け、開幕から苦しんでいたインコースを右翼席に運んだ。 心には「世界のホームラン王」の魂が宿っている。開幕前のある日。新人の指導役を担う大渕スカウトディレクターから、ソフトバンク・王会長の金言を伝え聞いた。 「プロは失敗してはいけない職業。『人間だから失敗もある』と選手を慰める人がいるが失敗は許されない。プロ野球選手は人間じゃないんだ」 高校時代、極端に低い弾道の一発を放つことから、スカウト陣に“王の再来”と呼ばれたこともあった。868本塁打の世界記録を打ち立てた偉人の言葉を聞き、一振りの重みをより意識するようになった。 チームは貯金1で4位に浮上。プロ2勝目を挙げた4日のソフトバンク戦(ヤフオクD)から、自軍の3勝すべてでヒーローインタビューに立った。地元・岩手に近い仙台での記念弾。「東北で打てて良かった。Kスタに来るのは初めて。思い出に残りました」。重圧から解放された19歳は、あどけない笑みをこぼした。
報知新聞社