東日本大震災の手書き新聞、ネパール被災地でも発行へ
宮城県気仙沼市の仮設住宅で意見交換するタパさんと「ファイト新聞」の子供たち
東日本大震災後、宮城県気仙沼市の避難所で小学生が作っていた手書きの新聞「ファイト新聞」を、地震被災地のネパールでも発行しようと、ネパール政府公式通訳のジギャン・クマル・タパさん(36)が28日、気仙沼市の仮設住宅を訪れて現地の子供たちと交流した。
「ファイト新聞」は東日本大震災の一週間後、気仙沼市の避難所に避難した小学生が作り始めた手書きの新聞。避難所の壁に日々貼られ、震災の中でも明るい話題や楽しかった日常を描く子供目線の新聞が、避難所の人々を励まし続けた。 この日、震災後のネパールでも同じ取り組みができないかと考えたタパさんが気仙沼市を訪れ、「ファイト新聞」を作る子供たちにアドバイスを求めた。高校2年の小山奏子さん(16)は「『花がきれい』と思ったらそう書けばいいし、自分が楽しいと思ったことを書けば、読む人も楽しくなるはず。暗くなることは書かず、明るく前向きになることを書くといいと思います」、中学2年の小山里子さん(13)は「体験したことをそのまま書けばいい記事になる」とアドバイスした。 子供たちはタパさんに、「ファイト新聞」の創刊号から18号までのコピーを手渡した。タパさんはこれをネパール語に翻訳し、来月ネパールへ帰国した際に現地の小・中学生に見せるという。「ファイト新聞」を参考にして、ネパールの子供たちも震災を日々記録する新聞を発行する予定だ。タパさんは「日本でも震災があったけど前向きにがんばっている子供たちがいるということを、ネパールの子供たちにしっかり伝えてきます」と話した。
タパさんは4月のネパール大地震後、日本のネパール大使館で対策本部の事務局長を務める中で、「今、ネパールで震災があまりに記録に残されていないことに危機感を感じていた」と話す。東日本大震災後に気仙沼市で「ファイト新聞」が発行されていたことを知り、「ネパールでも、感じたことをストレートに書く子供の素直な目線から見た震災後の記録を、今残さなければならないと感じた」。支援で首都カトマンズ近郊の小学校を訪れた際に「ファイト新聞」のことを話すと、子供たちからは「ぜひやってみたい」との声があったという。