医者も看護師も一緒になって尋問…「長時間の拷問」で倒れた女性が運ばれた「イラン刑務所の病院」がヤバすぎる
イランでは「好きなことを言って、好きな服を着たい!」と言うだけで思想犯・政治犯として逮捕され、脅迫、鞭打ち、性的虐待、自由を奪う過酷な拷問が浴びせられる。2023年にイランの獄中でノーベル平和賞を受賞したナルゲス・モハンマディがその実態を赤裸々に告発した。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 上司の反対を押し切って担当編集者が日本での刊行を目指したのは、自由への闘いを「他人事」にしないため。ジェンダーギャップ指数が先進国最下位、宗教にも疎い日本人だからこそ、世界はつながっていて、いまなお闘っている人がいることを実感してほしい。 世界16カ国で緊急出版が予定されている話題作『白い拷問』の日本語版刊行に先駆けて、内容を一部抜粋、紹介する。 『白い拷問』連載第7回 『狂ったイラン政府はどう「人の尊厳」を奪うのか…ノーベル平和賞活動家が明かす卑劣過ぎる「やり口」』より続く
諜報治安省の無理な命令
3度目の収監は独房から始まった。ほとんど何の尋問も受けないまま、ただそこに入れられていた。翌日、女性房に連れて行かれ、一晩だけ過ごし、再び209棟に戻された。 何ヵ月か前、私がテヘランにいて、タギ(※筆者の夫)もまだ亡命していなかったとき、シュラワルディ・ストリートにある諜報治安省から、非合法的にイランから出国するようにと言われたことがあった。私は拒否した。 タギが出国したあと、私にイランを出ろという諜報治安省からのプレッシャーはますます強くなったが、私は出国したくなかった。 小さなふたりの子どもがいると事情を説明した。クルディスタンの山岳地帯は子どもには危険すぎて歩けない。 「そうだろうか?」と尋問官が言う。「車で行けば良いだろう、素晴らしい景色だぞ」。私は自分が何の罪で罰せられているのか分かっていた。
子供のことを思い出す毎日
あるとき、中年の尋問官に当たったことがあった。彼の話によれば、彼は2009年のアフマディネジャド大統領(強硬なイスラーム原理主義者)の再選以前は外国で任務についていて、何らかの理由でその年イランに帰国したそうだ。 彼は、私がエヴィーン刑務所の一般房に収監されることはない、と脅した。「安心しろ」と彼は言う。「お前は小さな町の普通の刑務所に送り込まれる。そこで人権と女性を守るとはどういうことなのか、身をもって知るだろう」。私は6年の禁固刑を下されていたが、他の都市に移送されるという話は聞いていなかったので、この男の言うことを真に受けなかった。 私の独房はそれまでの2回のときとほぼ同じ機能を備えていた。鉄製のドアが背後で閉まると、世界が暗くなった。これが3度目の獄中生活で、209棟の環境は知っていたはずだが、それでも初めてのときと同じように恐怖に震えた。 アリとキアナのことは考えないようにした。ふたりの不在は耐えがたかった。心のなかに彼らの名前が浮かんでくると、立ち上がって、その場で走るように足を動かした。じっとしていたら悲しみに飲み込まれてしまいそうだった。 子どもたちもきっとこのつらさを乗り越えられると信じていた。子どもたちが私を忘れてくれますように、と神に祈った。子どもたちの口に「ママ」という言葉がのぼりませんように、と祈った。 アリとキアナと朝から晩まで一緒に過ごしてきた私は、ふたりのことを考えるだけで、ふたりの名前を思うだけで、逃げ出したくなるくらい怖くなった。