古き良き「日本車」が北米で再評価されるのは、当然? カスタム文化の“最前線”を考える
ディスカバリーチャンネルが注目
最近、北米で古い日本車の人気が高まっていることが、メディアを通じて知られるようになってきた。 【画像】えっ…! これがトヨタの「年収」です(計10枚) 特に、ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルといった人気衛星放送の番組が顕著だ。これらの番組では、北米におけるカスタムカー文化の最前線として、古い日本車が取り上げられることが多い。ここでは、日本車が北米のカスタムカー文化としてどのように成長してきたかを振り返ってみたい。 筆者(矢吹明紀、フリーランスモータージャーナリスト)が北米の自動車事情を取材し始めた1990年代初頭には、カスタムカー文化と呼べるような大規模なムーブメントはなかった。ダットサン・フェアレディ、ダットサン510ブルーバード、ホンダS800など、1960年代から1970年代にかけて活躍したレーシングカーをモチーフにしたレーシングカー的なカスタムがいくつかあったくらいだ。 マツダのロータリーエンジンを使ったホットロッド風のカスタムなど、モータースポーツに関連したものだけが見られた。 しかし、1990年代後半になると、新たなカスタムが登場する。日本のドリフトレースをベースにしたものだ。日産シルビア、240SX、マツダRX-7、ロードスターなどがドリフトマシン、あるいはドリフトマシンをイメージしたストリートスポーツカスタムとして人気を博した。 2000年代に入るとドリフトレースの人気はさらに高まり、北米を代表するモータースポーツ団体スポーツカークラブ・オブ・アメリカ(SCCA)では「フォーミュラD」というカテゴリーまで誕生した。
近年燃える「右ハンドル」ブーム
一方、1990年代後半から2000年代前半にかけて、コアなアニメファンの間で、日本のアニメ文化をモチーフにしたドレスアップカーが誕生した。これが現在まで続く、いわゆる 「痛車ブーム」 の始まりである。ここから、カッティングシートでボディグラフィックを表現する、いわゆる「ラッピング技術」が生まれた。 ここで重要なのは、それまでの素材となった日本車は、北米市場に正規輸出された、もしくは北米で現地生産された左ハンドル車だったということだ。 その一方で、日本車に憧れ、日本国内仕様の右ハンドル車、つまり日本でしか流通していないモデルを所有したいというコア中のコアなマニアたちがいた。しかし、米国では右ハンドル車として公道を走れるのは生産から25年を経過したモデルだけだった。 日本では1990年前後のバブル絶頂期に、非常に魅力的でマニアックなモデルが数多く登場した。そのなかでも、右ハンドルの日本モデルが米国で一般的に登録できるようになったのは2015年以降である。このあたりから、右ハンドルの日本車を素材にしたマニアックなカスタムカーが増え始めた。 ここではR32スカイラインGT-Rのような北米に輸出されない高性能モデルが珍重され、米国ナイズされた独自のカスタムカー文化が生まれた。