感染症の文明史 :【第2部】インフルの脅威 3章 鳥インフルウイルス:(3)驚異的な勢いで感染範囲を広げる「H5系」ウイルス
狙われる東アジア
アジア風邪から10年余。その余波が残る東アジアは再び「香港風邪(H3N2)」に狙われた。1968年7月に英国領の香港から流行が始まった。人口密度が高い香港では猛スピードで感染が拡大し、2週間で最大規模に達した。流行は約6週間続き、人口の5%にあたる約 50万人が罹患(りかん)した。 その後、流行はアジアからヨーロッパに拡大し、旧東西ドイツで死者は推定6万人に達した。ベルリンでは死者の急増で、地下鉄の構内まで死体置き場になった。葬儀屋が足りなくなったためゴミ収集業者が埋葬を請け負った。米国でも4州を除く全ての州で流行し、約500万人が感染して3万3000人が亡くなった。 日本でも香港を経由して1968年7月に名古屋港に入港した船舶の乗組員が流行の発端になった。10月に入って都内の小中学校で感染者が発生。1969年4月ごろから第2波の流行が始まり、感染者が増えるとともに学校・学級閉鎖が急増した。死亡者数は、1968年の第1波では2万人程度だったが、第2波では5万人を超える大きな被害が出た。
ニワトリの大量処分
こうした相次ぐヒトへのインフル・パンデミックの陰に隠れているが、家禽(かきん)の世界でも鳥インフルエンザは猛威を振るってきた。そうした感染のために引き起こされたニワトリの大量死や大規模な殺処分がよくニュースになる。2005 年以降、世界で 5 億羽以上の命が失われた。こうした感染症の歴史をたどると、19世紀末にはすでにヨーロッパ一帯に広がって、「家禽ペスト」として恐れられていたことが分かる。1910年代から世界各地でも発生するようになり、1971年になって「H5N1」の亜型であることが確認された。 ウイルス研究者はそれまで「H5N1」にほとんど注目してこなかった。その起源は野生のカモの間で無症状の感染を続けていた低病原性鳥インフルウイルスだが、ある時に高病原性に突然変異したと推測される。このウイルスは感染力が極めて高く、家禽が感染した場合、 48時間以内に90~100% が死に至るほどだ。 1996~97年に中国広東省で渡り鳥からガチョウに感染して、同省にいるガチョウの4割が死んだのが最初の大きなニュースになった。さらに香港に飛び火して約450万羽のニワトリが殺処分された。それが、あっというまに世界中に広がった。当時、「H5N1」は、家禽の新たな脅威として注目を集めた。日本、中国、韓国など東アジアの養鶏場から世界62カ国に感染が広がり、深刻な事態を引き起こした。 2020年から2023年にかけては、世界各地の家禽や野鳥の間で蔓延(まんえん)した。米国では2022年2月から4月にかけて、全米50州のうち47州で6840万羽の家禽が処分された。採卵用のニワトリの3分の1が処分されたため、卵の価格が2倍以上に高騰した。 農林水産省によると日本でも2022年10月から23年4月にかけて25都道府県で76件の感染が確認され、全国で飼われるニワトリの約1割に相当する1771万羽が殺処分にされた。これは過去最大の規模で、卵の卸売価格も過去最高値を更新した。日本ではヒトへの感染を防止するため、家畜伝染病予防法で鶏肉や卵などの移動を制限し、感染の可能性のあるニワトリを殺処分し鶏舎を消毒することがウイルスの致死率に関係なく義務づけられている。 その後も各国で殺処分が続いた。家畜の病気に関する国際組織・国際獣疫事務局(WOAH)によると、2022年1年間だけで5大陸67カ国で家禽と野鳥を併せて1億3100万羽以上が感染して死んだり、殺処分されたりした。 新たに家禽から哺乳類にも感染が広がってきた。2022年10月から翌1月にかけて、スペイン北西部のミンク養殖場で「H5N1」感染が確認され、飼育されていた5万2000頭が全て殺処分にされた。ペルーでは、2022年秋から翌年にかけて6万3000羽の海鳥とともに、約3万5000頭のアシカとオットセイの感染死体が回収された。チリでも2023年4月までに約1万6000頭のアシカやイルカなどの感染死体が発見された。 哺乳類における 「H5N1」感染の症例は、通常鳥のフンやその死体と直接接触したことに起因するとされる。しかし、接触した痕跡のない動物にも感染が広がっているのは不気味だ。哺乳類の中にはブタのように、ヒトに感染すると強毒性の新たな変異株を作り出す動物もいる。