宅配転換が「ヤマト運輸」起死回生の策 戦後は経営危機に【経済トレンド】
宅配最大手。創業者の小倉康臣が1919年に現在の東京・銀座で大和運輸を設立したのが起源だ。牛馬や人力での貨物輸送が主流だった時代にいち早くトラックを導入し、運転手に制服・制帽を採用した。集めた荷物を拠点間で定期輸送する路線事業を国内で初めて開始。関東一円に配送網を築き、トラックによる運送業の原型をつくった。(共同通信=出井隆裕記者) 太平洋戦争後は、その成功体験が判断を誤らせ、東京―大阪など大都市間の輸送で後れを取り、経営難に陥った。康臣の息子で経営を引き継いだ昌男社長(当時)は起死回生の策として宅配事業に転換。家庭へ手軽に荷物を送る手段が見当たらない状況を好機と捉え、76年に「宅急便」の名称でサービスを始めた。 82年にヤマト運輸に社名変更した。生鮮品を家庭に届けるためのクール宅急便などで常に業界をリード。一時はほかの運送大手も相次いで宅配事業に参入したが、ヤマト運輸のシェアは崩せなかった。近年はインターネット通販の普及も追い風となり、昨年度は約23億個の荷物を取り扱った。シェアは約5割に達する。