「食べるのが大好きだった」すい臓がん末期で食べられなくなった60歳女性の「人生で一番おいしかったもの」の話
■人生を振り返る その後山口さんは緩和ケア病棟に移りましたが、私は引きつづき訪れ、話をしました。 徐々に体力も低下し、ベッドから起き上がるのもやっとの状態になったとき、「いままでいろいろあったけれど、私もここまでやってきました」と、ご自身の人生を振り返ってなのか、しみじみおっしゃいました。 ■「こんな私だけど、これでよかったのかね」 私はもう一度海老バーガーの話がしたくなり、「山口さんも生きてこられていろいろなことがあったのでしょうね。やっぱりいまでも人生でいちばんおいしかったのは海老バーガーですか?」と聞くと、「やっぱりそうだね」とのことでした。そして、当時のことを話しはじめました。 「自分の家は貧乏だったから、おかずはもやしとかで、もっとおいしいものを食べたいなって食事のたびに思ったんです。おなかがすかないように、母親は苦労しながら姉と私にご飯だけは食べさせてくれた。そんな母親にわがままを言ってはいけないと我慢していたから、食べ物にこんなに執着するのかもね。父親は頑固な人で、あれこれとうるさくて、家のなかは緊張感があって窮屈だったんです。 あれは自分が高校を出て働きだした頃だから、20歳くらいだったかな。駅前にはじめてファストフード店ができて、それまでひとりで外出なんかしなかったのに行きたい気持ちが勝って、車を運転して食べに行ったんです。お店でほおばった海老バーガーがほんとうにおいしくてね」 山口さんの子供の頃の食卓を想像し、「食べることが大好き」と言う理由がわかった気がしました。昭和50年代、経済成長のなかで急速に発展していく浜松の街の様子を私なりに想像しながら、窮屈な子供時代から自由になろうと、山口さんが夢中で食べた海老バーガーの味を思い浮かべました。そして、「山口さんの若い頃にはそんな情景があったのですね。海老バーガーはほんとうにおいしかったでしょうね」と言葉をかけました。 「食べたい一心で、無我夢中だったね。一口ほおばったときのおいしさはいまでも覚えている」と、山口さんはしみじみと話しました。そしてしばらく沈黙したのち真顔になり、「こんな私だけど、これでよかったのかね」と言葉を続けました。 私は、「こんな私」と自分を粗末にする表現をしたことと、窮屈な子供時代を過ごしたことには何か関係があるのかもしれないと想像しました。そのうえで、自分の素直な気持ちを伝えました。 「山口さんと話しているとき、私はいつもほんとうに楽しい時間を過ごしていました。そんな素敵な山口さんがダメなんてことはありえないと、こころの底から思いますよ」と。 山口さんは、「そうかな。ありがとう」と、顔をくしゃくしゃにして涙を流しました。