<私の恩人>葉加瀬太郎 世界の歌姫に学んだ過去
バイオリニスト・葉加瀬太郎さん(45)にとってターニングポイントとなったのが、世界的歌手、セリーヌ・ディオンさんとの出会いでした。1996年に発表した共作「トゥ・ラヴ・ユー・モア」は130万枚の大ヒットとなり、セリーヌさんのワールドツアーにも3年にわたり出演しました。日本とカナダ、生まれ育った場所は違えど、同い年の2人。才能はしっかりと共鳴し合いました。 セリーヌ・ディオンとの出会いがなかったら、どう考えても、今の僕はありません。これは間違いないです。 96年から3年間。セリーヌが映画「タイタニック」の主題歌『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』を発表したのが97年でしたから、彼女がまさに世界に名前をとどろかせていく真っただ中、一緒にやらせてもらいました。 そもそもの縁は、94年4月に日本武道館であったデイヴィット・フォスターのコンサートでした。当時、僕らがやっていた「クライズラー&カンパニー」というバンドの映像をたまたまデイヴィットが見てくださったみたいで、コンサートに僕らを呼んでいただいた。その時に、コンサートのゲスト歌手として来ていたのがセリーヌだったんです。 その年の12月、セリーヌが中野サンプラザでコンサートをした際に、楽屋で「また何か一緒にやりましょうね」と話しました。それがフジテレビのドラマ「恋人よ」の主題歌に使われた『トゥ・ラヴ・ユー・モア』につながっていったんです。 さらに、ありがたいことに、この曲が多くの人に聴いていただき、それが彼女のワールドツアーに参加する話につながっていきました。 ツアーでは驚くことがたくさんありました。あそこまでのレベルになると、ステージがすごいのは当たり前。完璧で当たり前なんですが、さらにすごいのはステージを降りてから。 例えば、きのうコンサートがあって、きょう休みで、あすまたコンサートがあるとしますよね。そうしたら、きょうは一切しゃべらないんです。一日中すべて身振り手振りだけでコミュニケーションをとるんです。のどを温存するために。 休みにサッカーを観に行ったりすることもよくありましたけど、そら、まぁ、盛り上がらないですよ(笑)。こっちが「ヨッシャー!!」と大声を上げて応援していても、横で黙ってますから。いや、本人はしっかり楽しんでるんですよ。満面の笑みでガッツポーズを作ったりはするんですけど、一言もしゃべらない。「ちょっとくらいしゃべったらエエやん」と思うんですけど、徹底してました。 しかも、それを“何としてもやらねば”と、ストイックな雰囲気でやるんじゃなくて、楽しんでやってるんです。そこに、本当のプロ意識の何たるかを見た気がします。 それと、彼女と出会う前の僕は、多くの人に受け入れられるポップスというか、そういうものを嫌っていたところがあるんです。若かったですから(笑)。もっと鋭いというか、先行くものをやりたいという感覚が強かった。 それが彼女と一緒にやって、考えが変わりました。彼女は「ポップス中のポップス」を歌います。お笑いで言うと、「ベタ中のベタ」。でも、どベタなネタで大爆笑をとってるんです。いわゆる普通のオッチャンも、オバチャンも、みんなが心から喜んで盛り上がっている。いわば“ベタの凄味”を心の底から痛感することができました。 ツアー後も、ラスベガスにある彼女の劇場に呼んでもらって一緒にやったり、今でも交流は続いています。恩返しというのはなかなか難しいですけど、達者にコンサートをし、CDを出していることが、唯一、僕にできることなのかなと思っています。 (聞き手/文責 中西正男) ■葉加瀬太郎(はかせ・たろう) 1968年1月23日生まれ。大阪府吹田市出身。本名・高田太郎。4歳からバイオリンを始め、東京藝術大学音楽学科に進学。大学の仲間と組んだ「クライズラー&カンパニー」の中心メンバーとして活動する。96年、セリーヌ・ディオンとの作品『トゥ・ラヴ・ユー・モア』を発表。ワールドツアーにも同行し、世界的存在となる。家族は妻でタレントの高田万由子と一男一女。「世界に誇るべき日本の魂を込めた」と語る最新アルバム『JAPONISM』(発売中)をリリースした。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年大阪府枚方市生まれ。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」に出演中。