【東日本大震災】「亡くなったわが子のためにも――」3人の子を津波に奪われた木工作家と妻の“その後” #知り続ける
孤独から解放された瞬間
みんなで集まってお茶を飲んだり、おしゃべりをしたりしながら、着物の切れ端を使って色鮮やかなカードを作る。コンテナ・ハウスには笑い声がこだまし、ふと見渡すと、震災後もずっと自分を支え続けてくれている人たちの顔が並んでいた。 「ああ、私はずっと一人じゃなかったんだ……」 そう気づけてようやく、氷が溶けるように夫や義母を恨む気持ちも薄らいでいった。 「夫は昔から子煩悩で、子どもたちが大好きだった。義母も震災時、死ぬような目に遭いながら必死に子どもを守ろうとしてくれた。つらいのは私だけじゃなかった。みんな同じだったんだって、私、その時、やっと気づけて……」 綾子はコンテナ・ハウスの中でそう言うと、私の前でボロボロと涙をこぼしながら、精いっぱいの笑顔を作って微笑もうとした。 *** 【前編】では、夫・伸一さんが津波に押し流され3人の子どもたちと離れ離れになった震災当日のこと、【中編】では震災から3日後、夫妻が再会した時のことをお伝えしている。 ※本記事は、新聞記者でもある三浦英之氏が被災地の取材を続ける中で「東日本大震災で亡くなった外国人の数を、誰も把握していない」ということを震災から12年たって初めて知り、その外国人被災者たちの足跡をたどった著書『涙にも国籍はあるのでしょうか 津波で亡くなった外国人をたどって』の一部を再編集して作成したものです。
デイリー新潮編集部
新潮社