【東日本大震災】「亡くなったわが子のためにも――」3人の子を津波に奪われた木工作家と妻の“その後” #知り続ける
寝る間を惜しんでアイデアを練った。子どもたちが場所を気にせず本を楽しめるよう、本棚の底にキャスターをつけ、ベンチとしても使えるようにする。触ったときに木のぬくもりを感じられるよう、ニスは使わず天然のオイルで仕上げる──。 最初のテイラー文庫が完成したのは震災半年後の2011年9月、テイラーが当時亡くなる直前まで勤務していた万石浦小学校へと寄贈された。 贈呈式にはアメリカからテイラーの両親や弟妹も訪れ、被災者の前で生前に娘を愛してくれたことへの感謝を伝えた。 「俺にもまだ生きている意味が残っているのだろうか……」 贈呈式の光景を見ながら、遠藤は言葉にならない感情で胸の中がいっぱいになった。 以来、遠藤はテイラーの両親の思いに引きずられるように本棚の制作に夢中になった。 テイラー文庫の活動は徐々に広がり、2013年12月にはテイラーが勤務した七つの小中学校すべてに彼が作った本棚が設置された。
子どもを亡くした母親同士だからこそ
一方で、そんな夫の活動を、妻の綾子はどこか距離を置いて見つめていた。テイラー文庫の贈呈式の様子もテレビや新聞で眺めるだけ。 ところが2015年秋、テイラーの母であるジーンが石巻の自宅跡に設置したコンテナ・ハウスを訪ねたとき、テーブルの隅に置かれていた着物の古着を手にとって「この着物で海外の人が喜ぶようなグリーティング・カードを作ってみたらどう?」と提案され、心が揺れた。 震災後、気持ちが沈み込んだままの自分に対し、テイラーの両親は「日本とアメリカを結ぶ架け橋のような仕事がしたい」と願った娘の夢を少しでも叶えようと、毎年のように日本を訪れ、被災地を回って住民に感謝の気持ちを伝え続けている。 綾子は、同じ子どもを失った母親であるジーンの姿に「こんなふうにも生きられるんだ」と憧れた。 そして、気づいた。 「私も変わりたかったんだ……」 直後、綾子は自宅跡地に設置されたコンテナ・ハウスで週1回、古くからの友人や近隣住民を集めて、着物の古着を使ってグリーティング・カードを作る「イシノマキモノ」の活動を始めた。