裁判の場で女性を蹂躙…昭和では「常識」だった、今では考えられないヤバすぎる「男尊女卑」
ひどすぎる法廷
深江は「分断・差別と闘う女性解放闘争委員会」を結成し、仲間を募った。第3回公判には関西周辺や広島から約20人の女性が駆けつけた。顔を知られると動きにくくなるため、女性たちはマフラーとサングラスをしていた。 一条のファンと思われる男性が傍聴席の深江に近づき、「ねえちゃんらも踊ってるんやろ」と声を掛けてきた。怒ると、ストリッパーをバカにしているようになるので、深江は聞き流すしかなかった。 傍聴席で一条の後ろ姿を見ていた深江は次第に、腹が立ってきた。男たちが寄ってたかって、彼女をさらし者にしている気がした。検事が彼女の私生活に触れ、妻子ある男性と一緒に暮らしていると詰問していた。それがストリップとどんな関係があるのか。それなのに裁判官や弁護士は何も発言しない。一条の人生を裁く場にいるのは男性ばかりである。深江は法廷全体が性道徳の化け物となって一人の女性をいじめ抜いているように感じた。 それでも女性支援者たちは、静かに公判でのやりとりを聴くようにしていた。裁判官や検察官の心証を害しては、一条の不利になると考え、やじは飛ばさないと確認していたのだ。 検察官が被告人質問で、「中国にもストリップショーなるものがあると思うかね」と意味不明の質問をしたとき、深江は叫びたい気持ちがこみ上げた。「むしろ人間をこれほど辱める裁判が中国にあるのか」と。
「なんでうちみたいな裸踊りに…」
深江たちの「女性解放闘争委員会」は京都大学新聞(10月9日号)に、「一条さゆりの不当逮捕糾弾! 性モラルによる分断を許すな!」と題して逮捕、起訴への抗議文を載せている。一条を罪に問う状況について、 〈国家による性の管理の徹底化であり、ヌードダンサーに対する差別意識が(国家による)攻撃を許している〉 〈裁かれるべきは国家である〉 と主張している。 こうやってフェミニストや学生たちが支援し、裁判は次第に社会性を帯びてくる。そんな動きに、一条はこう感じていた。 「なんでうちみたいな裸踊りにこんな大勢の人が付いてくれるんかな」 本人は反権力意識や男性に抑圧されているという感覚にうとかった。小沢昭一との対談でこう語っている。 「子どものときから、言い聞かされてきたのは、男性と女性っていうのは区別されているんだと。あくまでも、女性は男性の下にならなきゃあいけないっていうことでした」 戦前に生を受けた女性たちの多くは家庭内で、こうした考え方を押しつけられた。気付かぬうちに、社会常識という靴に踏まれている一条と、高等教育を受け戦後の人権思想を知った女性たちの交流が、この公判を一段と興味深いものにしていた。 『「自殺しろと言うてるようなもん」…伝説のストリッパーについに下された悲惨すぎる「判決」』へ続く
小倉 孝保(ノンフィクション作家)