裁判の場で女性を蹂躙…昭和では「常識」だった、今では考えられないヤバすぎる「男尊女卑」
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第47回 『「本当に引退したかった」…厳しすぎるポルノ規制の中「伝説の踊り子」がわいせつ行為を繰り返したまさかのワケ』より続く
女性たちによる支援
公然わいせつを巡る数々の裁判において、一条の公判を特徴付けたのは、女性たちによる支援だった。 日活ロマンポルノや『四畳半襖の下張』を巡る裁判では、多くの文化人や労働者が、「表現の自由」の観点から被告を支援した。一方、一条を支援したのは、文化人や劇場経営者のほかフェミニストの女性たちだった。 その中心にいたのが、学生運動から女性の権利擁護に活動の幅を広げていた深江誠子である。彼女はこの裁判をきっかけに個人的にも一条と交流を深め、72年からの数年間、一条に最も頼りにされた女性だった。 1944年に生まれた深江は大阪府立三国ケ丘高校1年のとき、安保闘争のデモに参加した。高校を卒業後、大手化学系企業に就職し、労働組合青年婦人部で活動する。そこで自分が社会の仕組みを知らないと気付き、立命館大学に入学している。
社会に「踏んづけられる」女性たち
その後、京都大学大学院に進んだころ、学生たちのなかでウーマンリブ運動が立ち上がっていた。当時の気持ちを深江は、論壇誌『現代の理論』(1985年5月号)で、こう表現している。 〈私はうれしかった。だけどそのリブの思想だけでは、自分の苦しみは解けそうになかった。(中略)性は私にとって強制となり苦痛なものとなっていった。私は、そんな自分の性を、むしろ売春婦の性に重ねて考えるようになり、売春婦に関する本を読み漁り、リブの運動とは別の、独自な運動をつくり始めた。私は女の性をまるごと抱え込んで生きている、水商売に働く女たちにつながることで、自分の性のありようを見きわめたいと思ったのである〉 そんなとき起きたのが、大阪ミナミの千日デパート火災だった。犠牲になった多くの人は、キャバレー「プレイタウン」で働くホステスである。深江が調べてみると、犠牲者には在日韓国・朝鮮人や同和地区出身者が多く、赤ん坊を抱えて働くシングルマザーも少なくなかった。深江は思った。 「キャバレーには、社会に踏んづけられて生きている女性がたくさんいて、踏んづけているほうは、その痛みに気付かない。そんな社会はおかしい。なんとか変えたい」 そう考えた深江はホステスの遺族を支援しているとき、一条の裁判を知り、彼女も「踏んづけられている」女性の一人ではないかと思った。 電話で会いたいと伝えると、一条はわざわざ京都までやってきた。深江は一緒に活動していた友人と2人で一条に会った。京都駅近くの喫茶店で語り合うと、時間はあっという間に過ぎ、気が付くと2時間も話し込んでいた。深江は一条から、優しく包み込むような温かさを感じた。すぐにファンになって彼女の支援を決める。