自分の中の仏教心にふと気付かされる 洞窟の中にあるダンブラの石窟寺院
岩肌に掘られた暗い洞窟の中に、涅槃(ねはん)仏が浮かび上がる。ブッダが入滅する際の姿をかたどった像だが、初めて実物を見て、感慨深い思いになった。スリランカが仏教国だと実感させられる場所の一つ、ダンブラの石窟寺院。巨大な洞窟内に置かれた何十体もの仏像を前に、自分の中に根付く「仏教心」にふと気づかされた。 日本に帰国するときに墓参りをする程度の信仰心しか持たない僕でも、こんな場所に来ると、どういうわけか神聖な気持ちになる。ブッダが悟りをひらいた聖地であるインドのブッダガヤでも感じたことだが、人々で混雑しているのにもかかわらず、心が落ち着くのだ。
幼少の頃から、仏壇や線香の香りには慣れていたし、近所の寺の境内で遊ぶことも多かった。仏教は、「信じるべき」対象としてではなく、単に日常に根付く身近な存在だったのだ。宗教とはそんなものなのかもしれない。生まれた時からそこにあり、知らず知らずのうちに意識の中に刻み込まれていく。それだけに、心の拠り所にもなり得るのだろう。 個々の心の平穏や、社会の潤滑剤となっている限り、宗教は多いに結構。しかし、一旦政治と絡みつくと、碌(ろく)なことにはならない。民衆の「信じる心」を煽動して引き起こされる紛争のいかに多いことか。現在の荒れた世界を見て皆嘆いていることだろう。 (2016年1月撮影) ※この記事はTHE PAGEの写真家・高橋邦典氏による連載「フォトジャーナル<スリランカの旅>」の一部を抜粋したものです。