「落ち着いて、ちいちゃんが…」 と妹の訃報。引きこもる日々を過ごす 私が願った“せめてもの希望”
ただ、ただ、悲しい時間。家族とさえ、一緒にいる方がつらい
引きこもり状態になっていった私も、法事で愛知の実家に戻ることはありました。 でも、本当に悲しい時って、痛みも分かち合えないのです。妹の話をしても、少しでもお互いの記憶がズレているだけで喧嘩になってしまう。小さなどうでもいい要素でも、それは大事な人の人生の一部だから譲れないし、相手の間違いを正さずにはいられない。そうお互いが思っているから、どこも折り合えず、討論は終わらず、最後はどちらも泣き叫んで収集がつかなくなりました。一緒にいるほうがつらい。 鬱々と、どうしたらいいのかわからないまま、時間が過ぎていきました。
「ある時から、私は、うろうろし始めました」「誰も自分を知らない場所に隠れて、冬眠みたいにして過ごしたい」
こんなにもずっと、痛みが薄まらず、悲しくて、恋しくて、腹が立って、途方に暮れるのか。 ある時から、私は、うろうろし始めました。 どこにいても居心地が悪くて、地元でも東京でも、私の神経はピリピリしていて、誰かといると衝突してしまうんです。ほっといてほしいのに、誰かが「面倒みなきゃ」って近くにいてくれて、それも申し訳ないけど居心地が悪いんです。 遠くへ行きたい、せめてもうちょっと傷が癒えるまで、誰にもかまわれたくない。 誰も自分を知らない場所に隠れて、冬眠みたいにして過ごしたいと思っていました。 ある日、思い立って地方の温泉地に行きました。放っておいてもらえるからです。 衣食住の面倒を見てもらえて、かつ、誰からも干渉されずにいられる。自分がただの、よそ者になれる場所は当時の私にはマシな環境に思えました。 さらに温泉に入るとその時だけでも気持ちが楽になりました。温まるのは身体にも心にもきっとよいのですね。泣いても目立たない。人の少ない、少し廃れた温泉地をうろうろと巡っていました。 三回忌を過ぎた頃、悲しみは少しずつ、静かな悲しみに変わっていきました。 そうして気持ちが落ちついてくると、今度は、周囲の妹に対する「かわいそうに」という言葉に、無性に腹が立つようになってきたのです。 彼女の告別式には大勢の友だちが来て、女の子も男の子も泣きじゃくっていました。 私の妹は友だちが多くて、行きたかった大学に行って、好きなことに熱中して、毎日楽しそうで、それは見事な人生だったんじゃないかって。 それを、ただ「短かった」ってだけで、かわいそうとしか思わないのは失礼だろう、と考えるようになったんです。 それからですね。私の生活も少しずつ変わっていきました。 外に出るようになりました。人と接したいとも思うようになりました。 もう一度どこかの養成所に入ることも考えました。が、どこも入所時期は過ぎてしまっていたので……、私は、バイクの合宿免許教習に申し込みました。
後藤邑子