「落ち着いて、ちいちゃんが…」 と妹の訃報。引きこもる日々を過ごす 私が願った“せめてもの希望”
我が家で初めてのお墓づくり…もう何もしてあげられなくても、何かしてあげたい
お墓を作らなければなりません。我が家で、初めてのお墓です。墓地の区画はあります。墓石は隣町の石屋さんに注文するのだと教えてもらいました。 考えていたことがありました。棺の中で花に囲まれた妹を見た時に、花に囲まれた状態は慰められるなと思いました。見ているほうがです。もう何もしてあげられることがないなかで、何かしてあげたい気持ちをほんの少し叶えてくれるものでした。 私は昔から、お盆の時期のお墓が好きでした。ぼんぼりが灯って、どこのお墓にも綺麗な花が咲いていて、墓地全体が明るく見えます。シーズンオフはさびしい場所に見えました。花はみんな枯れてしまっているから。 だったら、お墓に花壇を作ろう。どんな季節でも花に囲まれるように。お墓の石段のどこか一部分に花が植えられる場所を作ろうと思いました。
晴れたその日、お墓が完成しました
石屋の主人にお願いしたら無理だと断られましたが、自作の設計図を出して粘るとしぶしぶ承諾してくれました。 晴れた日にお墓は完成しました。花を植えました。かわいらしい花壇です。 花に囲まれたお墓を見て、ほっとしました。お墓は残された人たちのためのものです。そこで想うことも祈ることもできる。 私は私の自己満足のために作りました。妹に何かしてあげたい気持ちをほんの少し満たすために、季節ごとに花の植え替えをします。 後日、石屋の主人にお礼を言われました。あのお墓のデザインは人気が出たのだそうです。似たような想いを抱えた人が多かったのかもしれません。
神経がむき出しになっているような感覚…「私は弱っちい暴君でした」
その頃の私は、代アニの西調布寮を出て、東京でひとり暮らしを始めていましたが、喪失感で何も考えられなくなりました。一日中ただ怒って泣くばかり。養成所にも行かなくなりました。放っておけないと思ったのでしょう、代アニ時代の友人たちが代わるがわる私の部屋に来て面倒をみてくれました。 そんななかでも私は荒れていました。ちょっとしたことが、日々、気に障ります。 神経が剥き出しになっているような感覚でした。世話をしてくれる友だちのほんのちょっとの不用意な言葉にも泣いて噛みつきました。皆の優しさを当然のように受け取って甘えていたのです。 知らない人と喧嘩になったことも多かったです。路上でも、どこでも。少しの不快にも耐えられずに「なんでお前みたいなのが生きてるんだ、生きてるべき人間が死んでるのに」と怒りをぶつけました。理不尽で非常識です。その人にだって、その人を大切に思う人がいるだろうに。 自分の態度はおかしいと自分でも思いながら、止められませんでした。毎日、泣いてるか、怒ってる。 当時、私の面倒をみてくれた友人たちは今でも「あの時の私らは天使だったぞ」と言います。事実そうだったんでしょう。思い出せる範囲でも、私は弱っちい暴君でした。