千葉ロッテ福浦和也が語る2000本「一度は引退を考えた」
だが、2012年から徐々に試合出場数が減少していく。 2016年は石垣島キャンプで左足首を痛めて開幕1軍から漏れ、1軍昇格は7月13日までなかった。8月には背中を痛めまた登録抹消。36試合出場、年間で、わずか20安打、7打点の成績は、もちろんキャリアワーストだった。 「オールスターまで上がれなかった。残り100本を切って思うようなバッティングができなくなった。怪我が続き、体が動かなくなってきたということもありました。これで残り100本打てるのか? もうクビになるのかな。バットを置こうかな。それも考えたんです」 一度は引退を覚悟したという。 1打席にかける代打のポジションが定位置となり、綱渡りのような日々に身を置くことになる。 「1打席、1打席に野球人生がかかっていた。そういう場面で、出してもらい、たまに打てちゃう(笑)。それがよかったんです。ずっと打てないと“いよいよかな”と、本当に引退を決意したかもしれないけれど、たまに打つのでは、“まだいけるかな”と思う。150キロの真っ直ぐに当たらなくなったら、本当に終わりだけど、まだ当たる。だから、いけるかなという気持ちになった」 福浦は、笑いながら振り返るが、それは壮絶な時間だったに違いない。 だが、代打では違った喜びを感じることができるようになった。 「代打で打てると嬉しいんです。こんなことを言っては怒られるかもしれないですが、代打のときは、打てないと思って打席に入っている。代打で打てたら奇跡だと(笑)。そういう局面では、相手は、ストッパー、セットアッパーが出てくるわけですから打てたらラッキーなんです。だから打てたときは本当に嬉しい」 40歳を越えて開幕1軍メンバーを外れ、1、2軍を行き来することが多くなり、昇格してもスタメン出場がほとんどなくなってきた福浦の新しいモチベーションとなった。 「ファンの声援にも助けられました。それと、現役でやらせてもらえる球団への感謝。現役でいられるならば、なんとか2000本を打ちたいと」 目の前に迫った近いようで遠い、2000本という金字塔が、引退を思いとどまらせる防波堤になった。 昨年のオフ。若手への切り替えを推し進めていた伊東勤監督から一歳年上の井口資仁監督に交代したことも2000本に後38本と迫っていた福浦にとって契機となった。 井口監督に誘われソフトバンクからロッテに移った鳥越裕介ヘッドコーチからすぐに連絡が入り、「来年は100試合出るつもりでキャンプに来いよ」と言われた。 「そこでもうオフの段階で気持ちにスイッチが入ったんです」 ここ数年は沖縄の石垣島キャンプでは、すぐに別メニューが組まれ特別扱いされた。首脳陣からすれば年齢面と故障持ちの部分に配慮しての処遇だったが、それは福浦が求めるものではなかった。 「沖縄で自主トレをしっかりとやってきて、キャンプでペースがガタっと落ちると調整が難しくなるんです。気持ちの面でも“開幕からスタート(先発出場)はないかな”と考えてしまいます。でも今年は、いきなりシート打撃のメンバーに入れてもらい“普通”に入ることができたんです。そこは大きかったと思う」 福浦は来年もユニホームを着る。 同期の松井稼頭央が引退して西武の2軍監督となり、ひとつ年上の中日の岩瀬仁紀も引退したため43歳の福浦が球界最年長プレーヤーとなる。 「ロッテでの最年長は確か小宮山さんですよね?」 ロッテの球団最年長記録は、早大監督に就任した小宮山悟氏で44歳。福浦が球団記録を超えるためには、後2年プレーする必要がある。 「2001本、2002本と、1本でも多くファンの前で打ちたい。(兼任コーチとして)いろんなバッターを見てチームを底上げできれば、強くなるし、監督を胴上げすることもできます。どこまでやるか? やめるタイミング? それはまったくわからないですね」 2000本安打でストップしたままの福浦の“安打メーター”が再び動きだすとき、それは未知なる領域へと踏み出す新しい一歩になるのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)