千葉ロッテ福浦和也が語る2000本「一度は引退を考えた」
近年、ウエイトトレーニングの年間敢行は常識のようになってきているが、福浦が、取り組みはじめたのは、もう23年も前のことだ。入団2年目から始め4年目で本格化した。 「当時は、まだウエイトの重要性が浸透してなかったんです。ファームには満足なウエイトの器具もありませんでした。メジャーのトレーニング方法を知る立花龍司さんがチームに来たこともあって、4年目、1軍に上がる前から、がっつりとやるようになりました。打者に転向してとにかくパワーが足りないと思ったんです」 だが、過度なウエイトトレは壁にぶつかる。巨人時代の清原和博氏が格闘家を指導しているフィジカルトレーナーについて肉体改造に取り組み急激なパワーアップをしてから怪我に悩まされるようになったが、福浦にも同じような失敗が巡ってきた。 2007年の開幕直後に脇腹を痛め、約1か月戦線離脱を余儀なくされた。2007年は打率.258、本塁打4という自己ワースト。翌年も腰痛や首痛などの故障に苦しみ、スタメンを外れることも増え、8年間続いていたシーズン100安打も途切れた。 実は2006年のオフから、大松尚逸と一緒にウエイトトレを行い同じメニューを消化していたため「おまえも気をつけろよ」と警告を発しておいたが、大松もまったく同じ脇腹を痛めた。 「ウエイトの重さなのか、ピークの作り方なのか、とにかくミスをしました。ウエイトばかりに目がいってケアが足りなかったんです」 以来、ストレッチを含めたケアの重要性、「準備力」の必要性を感じるようになった。 清水直行にピラティスを教えてもらうなど、体のケアに重点を置く「準備力」に時間を割くようになって再び福浦の野球人生のグラフはV字回復する。 「若い頃は感じない体の硬さや、疲れを年齢を重ねると共に感じるようになってきました。準備の大切さを感じたのは2007、2008年くらいからです。サブローなんか少しの準備でフリー打撃でガンガンスタンドに放り込みます。ナチュナルで強い。でも僕はナチュナルで弱い。若い頃は、球場に来て何も準備をせずバッティング練習をしていましたが、サブローと同じことを僕がやると体が壊れてしまうんです」 2009年の夏場から調子が戻り、3年ぶりに規定打席に復活、翌2010年には日本一に貢献した。