日本兵1万人がいまだ「行方不明」一体何があったのか…遺族が長年唱えていた「一つの仮説」
「ここにもいるぞ」
硫黄島では、学校にある人骨模型のように、全身の骨が奇麗にそろって見つかる例はほとんどない。風化して細かくなった骨片を目を皿にして探す、というのが捜索現場の実情だった。 遺骨を発見するのは、ベテランが多かった。長年参加しているボランティアの水野勇さんはその一人だ。あれは「首なし兵士」の壕でのこと。戦闘当時の地層まで掘った結果、一人分の遺骨の大部分が見つかり、5分後に撤収すると決まった。スコップやふるいなどの道具の後片付けを始める団員が多い中、水野さんだけはなお掘り続けていた。そして「あっ」と声を上げた。岩の下から上腕骨1本が出てきたのだ。 この壕では、上腕骨がすでに2本収容済みだ。つまり、二人目の発見の瞬間だった。「岩は当時からあったものではなく、戦闘中か戦後に壕の上部から落下したものではないか。ならば下敷きになった兵士がいる可能性があるかなと」。過去の経験に基づき、そう推測したことが発見につながった。「それにしても、いつも終了間際になると、別の人の骨が出てくるんだよなあ。『ここにもいるぞ』って訴えるように……」。水野さんはそう不思議そうに語った。 5日目の時点で、僕が参加した班が収容した遺骨は4体だけだった。それまでの間に遺骨収集現場の実情について一定程度、理解が進んだ僕はこんな疑問を抱くようになった。「現場では誰一人、手を抜くことなく、汗と土にまみれながら捜索に全力を尽くしている。にもかかわらず、なぜこれだけしか見つからないのだろう」。 団員たちはひたすらスコップで土を掘り続けた。人力では除去できない岩石にぶち当たると、現地に駐在する建設作業員たちがショベルカーを使ってすぐに除去してくれた。ある壕の探索では作業時間を短縮するため、壕の天井部分をショベルカーで剥がして行った。このように機械の力を発揮して捜索し、その結果、地形が変わってしまった捜索現場は島のあちこちにあった。これほど徹底的に硫黄島の土を掘っているのに、遺骨が僅かしか見つからないのはどうしてなのか。 遺族たちは長年、一つの仮説を唱えていた。 「滑走路下遺骨残存説」だ。 僕はそれこそが答えに違いないと思った。 日米の軍用機が発着することを理由に、戦後一度も本格的な調査が行われなかった島中心部の滑走路の下には、きっと大勢の兵士が眠っているのだ。この収集団の派遣期間の後半、僕は千載一遇のチャンスを得て、実際に滑走路下に広がる「未探索壕」の内部に入ることになる。 報道関係者としては初という高揚感を胸に、僕はその日を迎えた。 そして僕は、想像もしなかった“あの光景”を見たのだ。 つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。
酒井 聡平(北海道新聞記者)