【文化中国】中国の「農耕文明」を今に伝える皇帝の「1ムー3分」の畑
【東方新報】北京市朝陽区(Chaoyang)に位置するビジネスセンター「北京商務中心区(CBD)」で働く女性・李(Li)さんは、勤務の合間に「先農壇(Xiannongtan)」の畑で、子どもと一緒に鎌を握って、小麦を刈った。 「先農壇」は、北京の中軸線の南端の西側に位置し、かつて古代中国の皇帝が農耕の神を祭った最高位の祭壇だった。その敷地内には、今も北京の第二環状線内では唯一の「畑」が設けられている。 毎年小麦が熟す頃、ここで「小麦収穫体験ウィーク」が開催される。一般市民や観光客を招き、黄金色に輝く小麦畑で小麦を収穫し、中国の伝統的な農耕文化を体験してもらおうという催しだ。 かつての皇帝の祭壇は、人気の公園、そして北京古代建築博物館へと変貌した。600年余りの変遷を経て、「先農壇」は国内や海外の人たちが、古代中国の建築、暦、儀礼、特に農耕文明に触れる窓口となっている。 中国の農業の起源は古代まで遡ることができる。最新の考古学研究では1万年前にすでに農業を行っていた痕跡が発見されている。「先農(Xiannong)」とは、中国人に初めて農業を教えた伝説の農業神だ。 「先農壇」の敷地内に設けられた「北京古代建築博物館」の薛倹(Xue Jian)館長の説明によると、中国は古代から農業国であり、歴代の王朝は毎年の吉日に、好天と豊作を祈り、「民に農耕と桑蚕を奨励する」という為政者の意思を示してきたという。 「先農」を祭る儀式は、漢の時代からは国の制度に組み込まれ、歴代皇帝に重んじられ、明・清の時代にはこの儀式は最盛期を迎えた。 「先農壇」という歴史的建造物には、明・清時代に「初農」を祭る場所として、中国古代の儀式の様式が体現されているだけでなく、農業と養蚕を中心に国を治めようとした皇帝の統治理念も反映している。 「先農壇」の敷地内にある1ムー3分(約867平方メートル)の畑は、かつて皇帝が人民に農業を重んじていることを分からせるための儀式の場だった。 明・清時代の皇帝は、右手に鋤(すき)を、左手に鞭(むち)を持ち、鋤を3度進めて3度戻すという耕作の儀式を行ったという。 薛館長によると、中国ではよく「自分の責任を果たす」という意味で、「自らの『一畝三分』を好く管理する」という表現が使われるという。ここで言う「一畝三分」は、単なる面積のことではなく、農地と農耕を象徴するフレーズになっているのだ。 「先農壇」は、歴史的建造物として独特の趣きがあり、建造技術のレベルが高く、注目されている。 「先農壇」は、「左祖、右社」(意味:左に祖先をまつり、右に社稷を奉じる)という建築思想に基づいた歴史的建築物だ。これは、明・清時代の王朝の祭壇と廟で構成される様式を示す重要な建築遺産である。 農業の始祖「先農(神農)」をまつる祭壇「先農壇」は、宮殿の右側前方に位置しているが、これは古代の祭祀思想に基づいた建築様式になっている。 ただし、建物内部の構造は、「突出した中心軸と対称的な両翼」という伝統的な配置とは異なり、皇帝がとり行う儀式と農耕の実際の必要性に従った配置になっている。 「先農壇」は歴史的建築物を専門テーマとした中国初の博物館「北京古代建築博物館」の所在地でもある。形状や大きさも様々で、美しく多様な色彩にあふれた中国建築が観察できるユニークな博物館だ。 博物館の宝である「天宮藻井(Tiangong Zaojing)(建物の天井の位置に設けられた天空をかたどったくぼんだ半球状の構造)」は、現存する明代の「藻井(くぼんだ半球状の天井構造)」の中でも秀逸なもので、現在残っているのは五層構造で、傘のような形をしており、最上部には天空の星図が描かれ、その星の数は1400個余り有り、中国で「最も美しい天井構造」と言われている。 豊富な文化的コンテンツにあふれた「先農壇」は今日、より多くの体験活動を始めている。かつての皇帝の祭礼の場所は、今や一般大衆が訪れる新しいランドマークになっている。 薛館長は「この博物館は、これからも文化遺産の歴史的価値を探求し、一般市民が日常で使う言葉や活動を通して、文化遺産を市民の皆さんに伝え、後世に残していくつもりです」と話している。(c)CNS/JCM/AFPBB News ※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。