江戸期は6月開催だった 三重・松阪、夏の風物 旧小津家で「祇園祭」企画展
四天王社で獅子舞など演芸 雨竜と八重垣天王は松阪神社に合祀
三重県松阪市本町の旧小津清左衛門家(松本吉弘館長)は現在、夏期企画展「松阪の祇園祭」を開いている。松阪の夏の風物詩の一つで毎年7月中旬に開かれる祇園祭について、江戸時代には6月に行われ演芸が行われたことなどの関係資料から移り変わる様子を紹介する。8月4日まで。 祇園祭は初午まつり、氏郷まつりと並ぶ松阪三大の祭りの一つ。ルーツは平安末期に疫病退散を祈願して牛頭(ごず)天王を祭ったこととされる。江戸時代には6月7日から14日までの8日間、牛頭天王を祭る松阪四天王で行われ7日はみこしが大行列をなし、氏子が住む町々を屋台とともに巡行。祭り期間中は毎夜、各天王社で演芸などが催されたという。しかし祭礼の様子は、明治の神仏分離や太陽暦導入、生活様式の変化などで大きく変わっていく。 松阪四天王は、弥勒(みろく)天王(日野町=八雲神社)、御厨天王(本町=御厨神社)、雨竜天王(殿町=雨竜神社)、毘沙門(びしゃもん)天王(西之庄町=八重垣神社)のこと。雨竜、毘沙門の両天王は1908(明治41)年、殿町の松阪神社に合祀(ごうし)された。 「獅子頭」は「彫刻 松坂住人 二代目正八郎美治」の墨書が残る。祭りの初期の頃には、御厨天王社と雨竜天王社で獅子舞が行われていたという。 「『祇園祭神輿渡御光景』絵葉書」(ぎおんまつりみこしとぎょこうけいえはがき)は大正期のもので、八雲神社の神輿と渡御の光景が分かる。みこしは渡御終了後も祭りの期間中は拝殿に納められていたという。 「『作り物』写真」は、17(大正6)年ごろを伝える。作り物は芝居や物語の一場面を陶製の食器や日常道具を組み合わせて再現したもの。江戸後期と明治の記録によると、祭り期間中は雨竜天王社で、氏子による作り物が行われにぎわった。 会場には大正時代からの写真も展示。同家を管理運営するNPO法人松阪歴史文化舎の中戸弘美研究員は「展示を見て、改めて現在の祭りを見ると新しい発見があるかもしれません」と紹介している。 開館は午前9時から午後5時(入館は午後4時半)。水曜日休館。入館料は一般200円、6歳以上18歳以下は100円。