右利きの主力が左腕でピンチサーバーを務めたわけ 3回戦進出の熊本信愛女学院を勇気づけた思いのこもる魂のサーブ【春高バレー女子】
◆バレーボール・全日本高校選手権 熊本信愛女学院2―0進徳女子(6日、東京体育館) ■石川祐希、古賀紗理那…バレーボール・パリ五輪代表の「春高」時代【写真特集】 初戦となる女子2回戦に臨んだ熊本信愛女学院が進徳女子(広島)を2―0(25―23、25―20)で破った。7日の3回戦では明徳義塾(高知)と対戦する。 劣勢だった第1セット。仲間の大きな声援を背にピンチサーバーとして中島愛渚(3年)がコートに立った。左腕で懸命に放ったボールはネットに引っかかるも、仲間を大きく勇気づけた。本来は右利きでレギュラー選手の中島が左手で放ったことに意味があった。 迫海悠主将(同)は言う。「今までずっと左で練習しているのを見てきた。左で打つことは右利きの人は難しい。その中でも、試合に出るために努力をしているところを見てきた。本当にうれしかった」とうなずく。 堤政博監督は「万全じゃない状態ですけど、試合に出したい。結果がどう転ぼうと、あの場面が1番、本人にとってもチームにとっても納得できると思った」と明かす。誰もが待ち望んでいた。背番号「4」が春高バレーのオレンジコートでプレーする姿だった。 昨年2月に思わぬアクシデントに見舞われた。練習中に左脚のアキレス腱(けん)を切った。懸命なリハビリを重ねてプレーできるまでに回復した秋には再び悲劇に見舞われた。練習試合中に交錯し今度は右肘の腱(けん)が切れる重傷を負った。春高バレーの熊本県予選前の出来事だった。 中島はもちろん、交錯したチームメートも深く落ち込んだ。堤監督に「バレーが怖くてもうしたくない」「できません…」。そんな仲間を目の当たりにした中島は「私も頑張るから。気にせんでいい」と優しく声をかけ、負傷翌日から練習にも顔を出して仲間を安心させていたという。 高校生活最後の大舞台となる春高バレーに万全な状態で出場することは不可能だった。それでもチームの総意として、中島を何としても東京体育館に連れて行き、コートに立ってもらいたかった。堤監督は中島に提案した。「春高に出す。ピンチサーバーで出す」。動かせない右腕ではなく、左腕での練習が始まった。 もちろん最初はうまくいかない。遠くに飛ばすこともままならなかった。トレーニングは朝練習の前に行った。早朝6時半から黙々と打ち込んだ。毎日左腕を懸命に振った。中島は「ずっと不安しかなかった。(相手コートに)入るかもわからないし、その後のレシーブも最近やっとできるようになって。うん、不安。もう不安でしかなかった」と振り返る。 一人では乗り越えられなかったかもしれない。ただ中島には早朝6時半から毎日練習に付き合ってくれる仲間がいた。励ましの声をかけながら、ボールを拾ったりしてくれた。「みんながいつも自分のことを気にかけてくれたりして。そうやってやってくれている。自分が負けちゃいけない。そう思って練習してました」。少しずつ、少しずつ。繰り出したボールはしっかりとネットを越えるようになり、連続で相手コートを捉えるようにもなった。 努力する背中を見てきた堤監督も感慨深げだ。中島がコートに立つことは、交錯した仲間も含めてチームを救い、奮い立たせる原動力となっている。「やっぱり(右利きながら)左で打つことはなかなか恥ずかしいとか、そういうのもあると思う。ただこっちの思いもくんでやってくれた。彼女は自分のためじゃなくて、チームのために我慢強くやってくれた。感謝しかないです」と振り返る。 今後もピンチサーバーとして起用される見込みだ。今も右肘は「ある程度は曲がるんですけど、最後までは曲がらなくて。全部は伸びきらないぐらい」と中島は明かす。ただ今後も続く中島のバレー人生のために右腕は今大会は使えない。左腕でのサーブを繰り出すことになるが、仲間の思いも詰まった左腕から放たれるサーブは、何よりも熊本信愛女学院を勢いづける。 ▼▼バレーボール・パリ五輪代表の「春高」時代【写真特集】▼▼