往時の姿忠実に再現 大規模修復、現在とほぼ一致 こけらぶき、宝珠は追加復元 「歴史知る手掛かり」 白水阿弥陀堂
平安末期に建造された福島県内唯一の国宝建造物・白水阿弥陀堂(福島県いわき市)が、明治後期に暴風で倒壊する前の構造を伝える平面図が新たに確認された。1899(明治32)年の行政文書にあるのを、県文化振興財団の渡辺智裕歴史資料課長(いわき市文化財保護審議会副会長)が読み解いた平面図は倒壊4年前の作成で寸尺などを細かに記載。情報は現在の構造とほぼ一致している。倒壊後の大規模修復では、かつて備えていた宝珠(ほうじゅ)などが平面図に追加して復元されており、本来の姿を忠実に再現しようとした先人の姿がうかがえる。 平面図は県歴史資料館に収蔵されている県内の行政文書「古社寺建築物調」に収められていた。堂の沿革を記した文に添えられ、建物の横幅や奥行き、扉や格子戸の有無などが記録されている。桁行・梁(はり)間はそれぞれ31尺、軒高は15尺、棟高は36尺(1尺は30・3センチ)とある。単層構造で、屋根は俯瞰(ふかん)すると正方形に見える方形造(ほうぎょうづくり)、かやぶきであると示し、備考に破損状況をつづっている。
白水阿弥陀堂は明治期に入り、神仏分離令に伴う廃仏毀釈(きしゃく)の影響で一時期、荒廃。今から5年ほど前に発見された、平面図とほぼ同時期の1898年ごろに撮影された写真には、崩れないように軒下に支え棒を巡らせていた様子が確認できる。渡辺課長は「写真と図面を照らし合わせ、外面と構造をより一体的に把握できるようになった。明治の堂の状況を詳しく調べる手掛かりになる」としている。 平面図は1897年公布の古社寺保存法に伴い、内務省が県に出した調査報告の訓令を受けて作られた。白水阿弥陀堂は保存法を受けた調査で、歴史的建造物としての貴重さが再評価される中で倒壊し、当時の専門家が修復を指揮した。修復では基本的構造は平面図にのっとった。その上で屋根を「かやぶき」から、本来の姿として地域に伝わっていた「こけらぶき」に戻し、同様にかつてあったとされる屋根の頂点に飾る宝珠も復元したとみられる。 明治時代の堂の平面図はこれまで知られていなかった。図面は県歴史資料館が発行する「県史料情報」最新号に掲載している。文化庁は「阿弥陀堂の明治当時の様子が分かる点で貴重」としている。