メキシコの底辺から東京ドームへ…IWGPジュニア王者・DOUKIが語ったターニングポイント【週刊プロレス】
新日本のIWGPジュニア王者・DOUKIは7・5東京武道館でエル・デスペラードを破り、同王座を初戴冠した。 【写真】小林邦昭さんと初代タイガーの初タッグ
ベルトを取ったさいは「僕以上に周りの人が“DOUKIがこれを取ったんだ”と見てくれましたよね。メキシコの本当に辺鄙なところで一緒に試合した選手からメッセージをもらったり、向こうの情報番組みたいのでも取り上げてくれたり。僕以上に周りの人間のほうが喜んでくれたかもしれないです」という。 その後、石森太二、金丸義信、SHO、マスター・ワトとハイペースで防衛を重ね、1・4東京ドームでは前王者でもあるデスペラードの挑戦を受ける。 メキシコでデビューし、2015年10月に主戦場を日本に移してからはインディペンデント団体中心に闘い、2019年から新日本に上がり始めた。それから、約5年で新日本ジュニアの頂点に到達。ここに至るまでの期間を「早くはなかったんじゃないですか」と、DOUKIは振り返った。 「2010年にデビューしていて、キャリアも14年になるんですよ。と思うと、なかなかこの大きい舞台に立つのは遅かったと思うんですよね。2019年に新日本に上がってからもずっと負けっ放しでしたし、タイトルも絡める選手じゃなかった。そう思うと、時間がかかったほうだとは思いますよね」 手応えを感じ始めたのは、高橋ヒロムとの闘いを経てからだった。 「メキシコにいる時からずっと自分の試合に自信はあったんですけど、日本に帰ってきて“日本のプロレスはこうだ”という頭がどこかにあって。“日本ではこうしなくちゃいけない”みたいなのが、自分のなかで勝手にあったと思う。それがたぶん結果につながらないところではあったと思うんですよね。ただ、高橋ヒロムと当たってですかね。メキシコにいる頃から高橋ヒロムと当たりたくて、勝ちたくて…というのはずっとあった。2020年のスーパージュニアで初めて当たって('20年11・23高崎)、そのあたりからですかね。いままでやってきたものは通用する、やってきたことは間違いじゃなかった…と再認識させられた。それが、高橋ヒロム戦だったと思います。今年も2月の札幌で高橋ヒロムに勝ったところから、ガーッと進んでいったと思うんですよ。ターニングポイントにいつも、高橋ヒロムがいるのかなと思いますね」 DOUKIは2・24札幌でヒロムにシングルで勝利。そして、7月にIWGPジュニアを初戴冠した相手が、イッテンヨンで闘うデスペラード。7・5以来のデスペラードとのシングルは、王者として突き進んできた半年間を証明する場にもなる。“日本のプロレスはこうだ”という固定観念を取っ払った現在のDOUKIのプロレスには、独創性、オリジナリティーが満ち溢れている。 「基本的に人と同じことをしたくないので。コスチュームもそうですし、マスクもそうですし、技もそうですし、人と同じことをしたくないんですよね。人と同じことをしていたら“じゃあ同じことをしているほかの選手を見ればいいじゃん”となる。だから僕は基本的には“人と同じことをしたくない”という気持ちで全部やっていますね」 そう、ポリシーを語ってくれたDOUKI。ドームへの闘いは続いており、12・22&23後楽園でもデスペラードと激突。“メキシコの底辺”で育った男が、東京ドームの大舞台でタイトルマッチ。イッテンヨンのデスペラード戦には、大きな夢が詰まっている。 <週刊プロレス・奈良知之>
週刊プロレス編集部