42歳のちゃんこ長、元横綱鶴竜の新部屋を支える「鋼」の絆 寺尾からの忘れられないひと言「前田がいたら大丈夫」
仲がいいだけではなかった。横綱時代の鶴竜に温かいご飯を食べてもらいたい一心で、本場所中は取組終了時間から逆算して準備した。だが、負けて部屋に戻ってくると不機嫌な様子で2階に上がったまま下りてこない。「横綱が先に食べてくれないと、誰も食べられませんよ」と強い口調で注意したこともある。もちろん言葉の裏側には「頑張っておいしく作ったんだから、食べて元気を出してよ」との優しさも込められていた。 ▽亡き寺尾の遺言「前田がいたら大丈夫」 鋼には印象深い夜がある。鶴竜が横綱になって3年近いころ、お世話になった後援会関係者の通夜で兵庫県姫路市を一緒に訪れていた。東京に戻る新幹線がなくなり、姫路駅前のホテルに宿泊。館内の鉄板焼き店でステーキを食べていると、横綱から「前田さんは、この先どうするんですか。もし自分が将来、部屋を持つようなことになったら付いてきてくれますか」と言われた。すると「アナンダ(鶴竜の本名)がやるなら、とことんまで付いていくよ。でも、まだまだ相撲を頑張って」と間髪入れず返した。全て敬語の公の場とは違い、この夜は普通の兄弟弟子に戻った。当時の会話が今の音羽山部屋につながっている。 さらに2人の運命を決定付けたのは2023年9月の秋場所。両国国技館の支度部屋にいた錣山親方(元関脇寺尾、故人)から鋼は手招きされた。井筒部屋の大先輩で付け人を務めたこともある往年のスターだ。小走りで駆け寄ると、目を細めてささやくように告げられた。
「鶴竜が部屋をやるなら付いていくんだろう。前田がいたら大丈夫だ。鶴竜のこと、よろしく頼むな」 錣山親方はこの秋場所を最後に入院し、約3カ月後に亡くなった。鋼の心の中には、これ以上ない遺言として刻まれている。 ▽ぶつかり稽古の精神が人間関係の鍵 番付の差が大きく広がっても、立場が師匠と弟子になっても、音羽山親方は鋼のことを常に「前田さん」と呼んで敬語を使う。「強くなったからといって先輩をこけにしたら駄目。目上の人を立てるのが相撲界でしょう。そうすることで、先輩も『この人のために』と思ってくれる。だから、ずっと『前田さん』です」と、しみじみ話した。 この思いに呼応するように、鋼もそばで接している。例えば冠婚葬祭の祝儀袋は数多く買っておき、どんな局面にも対応。「何でも先回りの準備が重要でしょう。親方は天然だけど憎めない。何よりも温厚で優しい。自分が相撲を取る日は『前田さん、自分のペースで無理しないで、頑張ってください』とまで言ってくれる。先輩を大事にしてくれるから、こっちも力になりたいと思える」と、ほほ笑む。