「自分は無傷で生きてしまった」仲間5人失い、1人行方不明…生還の男性「自分にできることは」と思い立ち“火山マイスター”に 御嶽山噴火から10年「風化させない」
■祈祷所のカウンターの下に逃げ込む
噴煙で真っ暗になる中、里見さんは祈祷所のカウンターの下に逃げ込みました。 御嶽山火山マイスター・里見智秀さん: 「神社の社殿の屋根に落ちてくる噴石、地面に着弾するダン、ダ、ダンという音と神社の床を突き抜けて地面に着弾する振動と音を耳と足裏に感じながら、そこで耐えてました」
噴煙や噴石が少し落ち着いた隙に近くの山小屋へ。 そこで仲間2人と合流できました。
■「自分は無傷で生きてしまった」
4時間後、里見さんたちは無事、下山。しかし仲間5人が亡くなり、1人が行方不明に。 そして、山頂で写真を撮り合った野口さんも帰らぬ人になったことを後になって知ります。 御嶽山火山マイスター・里見智秀さん: 「自分は無傷で生きてしまった。何て表現していいか難しいけど、自分は生きられた中で犠牲になってしまったので、なんで亡くなっちゃうんだと非常に残念で悲しかった」
■生き残った自分にできることは
9月8日、神奈川県厚木市―。 こちらは祈祷所のカウンターの板。里見さんはこの下で噴火に耐えていました。 御嶽山火山マイスター・里見智秀さん: 「このカウンターのおかげで僕も助かったのかなと」 祈祷所の取り壊しの際、地元の人から譲り受け、自宅に保管しています。 ストックやリュック、サングラスも火山灰がついたままの状態で残してあります。 御嶽山火山マイスター・里見智秀さん: 「自分の中では忘れられない出来事だったし、記憶にとどめておくべきだなというのもある」
生き残った自分にできることはー。 里見さんは月命日の27日には木曽に通い、慰霊を続けるようになりました。 2023年、山頂部の規制がようやく解除された時には発生時刻の11時52分に供養をしました。 里見智秀さん(2023年7月29日): 「11時52分だったんで噴火が、昼ごはん食べられなかった、全員。何でか分からないけど涙が出てきた、きょうは。今も泣きそう、うれしさ半分、悲しさ半分。ようやくあの日と同じ道を通ってこられたうれしさと、亡くなった人が多かったので、その寂しさなのかな」