「球界制度」のスタートに…?かつて契約金ゼロだった選手(1)「プロ野球再編問題」を受けて
ドラフト会議で支配下指名された選手には、契約金というものが支払われる。「退職金」とも言われる契約金は選手にとって大切なものだが、過去には「契約金ゼロ枠」という制度があり、その枠で指名された選手も複数存在する。そこで今回は、契約金ゼロでプロ野球の世界に飛び込んだ選手を取り上げる。
中島俊哉
投打:右投右打 身長/体重:180cm/80kg 生年月日:1980年6月10日 経歴:福岡工大付高 – 九州国際大 ドラフト:2002年ドラフト8巡目 東北楽天ゴールデンイーグルスで「左キラー」として活躍した中島俊哉は、契約金ゼロで入団した選手だ。 福岡工大付高(現:福岡工大城東高)では2年夏に甲子園に出場し、チームの4番を任される存在だった。その後は九州国際大に進学し、2002年ドラフト8巡目でオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)から指名を受けた。 オリックスは当時「契約金ゼロ枠」という制度を取っており、中島はその対象として契約金なしでの入団になった。 しかし、オリックスでは2年間でわずか1安打という結果に。その後、プロ野球再編問題に伴う分配ドラフトにより、2005年から新規参入球団の楽天でプレーした。 2008年は主に左投手の先発時に出場機会を得ると、対左打率は.351をマークした。規定打席未満ながらも同年は81試合に出場し、打率.315、5本塁打、25打点の好成績。 2012年5月には、読売ジャイアンツの杉内俊哉に9回2死までパーフェクトピッチングをされていた中、中島が四球を選んで完全試合を阻止したこともあった。 2013年にはリーグ優勝・日本一を経験。2014年に現役を退いたが、引退セレモニーが行われるなど、楽天創設時からチームを支えた選手だった。
ベースボールチャンネル編集部