【連載】特攻兵の「帰還」 戦後79年えひめ ⑦新聞記事の女学生
■ スクラップブック 米駆逐艦イングラハムで太平洋戦争末期に艦長を務めたジョン・F・ハーパーさんは、自艦に関するスクラップブックを残していた。当時の文書や写真など貴重な資料が張られていると聞いて、トニー・ティールさんに頼んでデジタル画像を共有させてもらった。 ジョン・F・ハーパー艦長のスクラップブック スクラップの中の米海軍文書 スクラップは艦長の死後、息子のジョン・ハーパーさん(75)が屋根裏部屋のトランクの中で発見した。このジョン・ハーパーさんもティールさんやトム・パイシュさんらと親交がある。3人は後に来日し、堀元家と対面することになる。 イングラハム艦長の息子のジョン・ハーパーさん(2024年撮影) 数々の資料の中で興味深いのは、イングラハムに関する米国の新聞記事群だ。同艦は1945年5月4日、堀元さんの特攻で大きく損傷し、慶良間諸島での応急措置を経て、ほどなくサンフランシスコに帰還した。多くの記事が伝えるのは、まさに帰還直後の様子だ。 破損してドックに入ったイングラハムを紹介する記事の写真 その頃はまだ日本との戦争が終わっておらず、米国内の反日感情は強い。「カミカゼ」と戦ったイングラハムの帰還は関心を持って受け止められたようだ。 いくつかの記事は、サンフランシスコで修理中のイングラハムを紹介するとともに、5月4日の戦闘がいかに激しかったかを伝えている。死者数や被害状況、戦闘の経緯が細かく書かれ、ハーパー艦長が書いた報告書とほぼ同じ内容だ。軍による情報統制の形跡はうかがえず、それどころかハーパー艦長をはじめ乗組員たちが取材に応じ、率直に当時の様子を語っていた。 新聞で紹介されているジョン・F・ハーパー艦長(左) ある記事は、イングラハムが太平洋戦争中に仕留めた飛行機や艦船の数だけ張られたマークの写真を載せている。乗組員の表情は誇らしげで、凱旋めいた帰還だったことが伝わってくる。 その記事の見出しの下に、取材の端緒となった手紙があった。 東京の女学生が堀元さんに出した手紙だ。米軍が堀元さんの遺体から回収した後、米メディアは早々にその存在を聞きつけ、報じていたのだった・・・ 第8話「残された謎」は愛媛新聞ONLINEで6月27日公開予定 <a href="https://www.ehime-np.co.jp/article/news202305240022"><img src="https://yuicms.ehime-np.co.jp/media/images/news/20240617/img4a166700319bc64b.jpeg" /></a> <a href="https://www.ehime-np.co.jp/article/news202406140004">特攻兵の「帰還」 戦後79年えひめ</a>
愛媛新聞社