本木雅弘主演『海の沈黙』:巨匠・倉本聰の原作・脚本を映画化、若松節朗監督の仕事術とは?
倉本聰のシナリオがすごい理由
ずっと倉本のシナリオに憧れていた若松が特に好きなのは、「倉本さんの内に煮えたぎる、世間に対する反発」だという。『海の沈黙』にもそんな「激しい怒りの火種」を感じた。 例に挙げたのは、美術界の大家である田村に対して、竜次の“番頭”を自任する謎の男スイケン(中井貴一)が直言する場面。「竜次やスイケンが田村に抱く怒りは、倉本先生ご自身が抱えているものだと思う」と話す。 だが世間一般の見方では、今や倉本聰その人が権威であるのも否めないのではないか。 「権威には違いないですが、何でこんなに優しいんだろうと思うような面もたくさんあるんですよ。どうしても腑に落ちないセリフがあって先生に相談すると、見事に書き直してくださった。具体的にはスイケンと竜次が病室で話すシーン。そこにゴッホのエピソードを入れて、支える側と支えられる側、男2人の関係図が素晴らしく見えるようになった。感動しましたね」 倉本の脚本には、セリフとセリフの間の「間(ま)」はもちろん、音楽の始まりから終わりまで厳密に書き記されている。 「倉本さんの間(ま)の意味、心情を端的に短い言葉で表現するすごさ。例えば『―うん』や『―ああ』といった一言の中に、実はかなり大きな世界が表現されているのを学びとることができます。僕が教本にした名作ドラマも皆そうでした。セリフを一字一句変えないのが基本ですが、そんなルールがあったわけではありません。倉本さんは誤解だと言ってましたね(笑)。倉本さんの映画を作ろう!と心に誓いました」
人任せが監督術のカギ
巨匠を相手に真正面から接したからこそ、信頼を得られたに違いない。そのフラットな姿勢はスタッフに対する振る舞いにも表れている。完成披露試写の際、若松監督がステージ上から客席にいるスタッフの名前を呼び、観客に紹介したことが印象に残っている。 「いつも自分を支えてもらっているという感謝の気持ちからです。いい監督であるには、スタッフを信じて任せることですね。人間は求められるとがぜんやる気になって、2倍、3倍の力を発揮するんです。僕がこの年まで監督をやれているのも、人任せで“いい加減”だから。“加減がいい”というのかな。だらっとするのが好きなんだけど、やるときはやる。自分だけではできないことを、みんなの頭や手を借りてね」 美術が主題の本作では、絵画監修の高田啓介氏の存在が大きかったという。 「竜次のアトリエに置く油絵を高田さんに依頼しましたが、完成した絵を置くとどうもしっくりこない。無理を承知でサイズを100号から130号に変更してくれないかとお願いしました。『油(絵具)は乾くまで1週間以上かかるから、絶対無理!』と断られましたが、粘ったら2日で描き直してくださった。わがままな監督だとあきれられたでしょうね」 これまで数々の大作で、何人もの大物俳優とも渡り合ってきた。その方法論は「とにかく対話する」こと。 「まずは相手の話をじっくり聞く。それから『分かった。そっちの言い分を3つ聞こう。その代わり俺の言い分も2つ聞いてくれ』と言えば大体まとまります。今回は本木さんと撮影前に納得いくまで語り合った。それで大丈夫。『期待してます!』の一言だけ。あとは全部任せちゃう。そうすると自分からどんどんやってくれるんです。竜次が海中で目を開けているのだって、彼の提案ですよ。僕からはとてもそんな要求できません(笑)」 小泉今日子には「アヌーク・エーメでお願いします」と、フランスの往年の大女優の名前を出すだけで分かってもらえたという。中井貴一への注文もたった1つ、「魚のさばき方だけ練習しておいて」。 「待機中も黙々と魚をさばく練習をしている。おい、さすがに平目を使いすぎだろうと思うぐらいにね(笑)」 今回のキャストにおける最大の難題は石坂浩二演じる「田村をいかに若く見せるか」だった。 「本木くんと石坂さんが同窓生の設定ってどういうことですかと。その辺は倉本先生も結構いい加減で、『いや、それは見る側の問題だから大丈夫だよ』って(笑)。双方が歩み寄ってくれたおかげで、何とかなったんじゃないでしょうか」