「なぜここに…」世界的な現代アート巨匠の遺作が、津波施設に残された真相 建築家・隈研吾氏が驚いた作品。町と隈氏と巨匠、3者の知られざる思い
アートの力を借りることにしたのは、震災を語る上で避けられない「死」や「不在」について来場者に考えてもらうため。ボルタンスキーは、ホロコーストなどの主題を通して、それらを訴えてきたアーティストとして国際的な評価を得ている。 吉川さんは南三陸町の佐藤仁町長とともに、香川県・豊島を訪問した。佐藤町長はここで見たボルタンスキーの作品「心臓音のアーカイブ」にこんな印象を持った。 「光の点滅が、あるべき肉体が消えゆく瞬間であるかのように思え、震災の記憶がまだ生々しく残る当時の私にとっては残酷で衝撃であった」 だからこそ、当初は「ボルタンスキーの作品が伝承館に似つかわしいのか、疑問が拭えないまま豊島を後にした」。それでも、自問自答を重ねる中で気持ちに変化が生じた。 「自分がさまざまな感情を抱いたあの空間こそが作品で、あの感情こそがボルタンスキーの意図だったのでは、と腑に落ちる部分があった。メモリアルに人々の記憶や命そのものを考える役割があるのだとしたら、これに向き合い、考える空間としてボルタンスキー作品以外にないのではないかという決断に至った」
▽被災地を歩いたボルタンスキー 町はボルタンスキーに作品製作を依頼。すると、快諾とともに「南三陸だったらこんな作品にしたいというイメージをもっている」として「MEMORIAL」の構想が告げられた。缶を積み重ねたこの作品で伝えたかったことは何か。ボルタンスキーが町や隈研吾建築都市設計事務所に提案した作品コンセプトによると、彼は私たちの世界のもろさを訴え、地震への警告をしたいと考えていた。積みあがった缶は、地震が起こってしまえばいつ崩壊するか分からない、もろく不安定なものに見える。 ボルタンスキーは震災があった2011年の9月に宮城県石巻市を訪れている。南三陸町が依頼するよりずっと以前に、自らが希望して訪問したという。翌12年の「大地の芸術祭」への参加が決まっていた彼は、制作予定の作品が震災直後の状況にそぐうのか、自分の目で確認したかったのだという。石巻市では海岸を歩き、小学校などを訪問。「MEMORIAL」に影響を与えた可能性は十分にある。