「あの人って誰かのお父さん?」 箱根駅伝「東大・給水おじさん」が“場違い”な現場で思っていたこと
「古川の足を引っ張るのが怖くて、『俺はそんなに走れないかもしれない』と伝えたんです。そしたら彼が『立ち止まって(ボトルを)受け取りますから』って言ってくれて、ウルッときちゃって……。だったらやってやろうぜ、と覚悟を決めました」 ■「ほんとに走れるの?」ざわついた観客 1月3日当日。横浜駅近くの給水係の招集場所に行くと、八田教授は明らかに「異質」だった。周囲はみな出場校の部員たち。ほっそりと小柄な学生の集団の中で、白髪に181センチの長身は嫌でも目立つ。近くで見守っていた妻によると、観客たちは「あの人って誰かのお父さん?」「ほんとに走れるの?」などとざわついていたという。 給水係の中には前日の往路を走った選手もいて、楽しそうにはしゃいでいたが、大半はじっと黙ってスマホ画面に目を落とし、レースの行方を見つめていた。 そんな学生たちを横目に、八田教授は「給水のウォーミングアップ」を始めた。 「周りは『何このおやじ?』って思っていたでしょうね(笑)。でも、とにかく自分の役目を果たさなければいけない。肉離れでも起こしたら大変なので、一人でジョギングしていました」 給水本番、古川選手の姿を見たら泣いてしまうのではないかと思っていたが、実際はそれどころではなかった。風のように駆け抜ける古川選手に必死でついていき、水とスポーツドリンクを渡した。他校の給水係は並走しながら飲み終えたボトルを受け取っていたが、八田教授は自信がなかったため、事前に「飲んだら遠慮なく投げ捨てろ」と指示していた。 ネット上では、「わざわざボトルを拾いに行って偉い」などと話題になったが、八田教授は「大会規定に捨てたものは拾うよう書いてあるので」と苦笑する。
もう一つ、大きな注目を集めたのが、渾身の“バンザイ”だ。ボトルを渡し終えた八田教授は、徐々に遠くなる古川選手の背中を見つめ、空に向かって両のこぶしを3回突き上げた。 「無事に役目を果たせて、最後に声で激励しようと思ったら、思わず体も動いていた。目立ちたかったわけではないのに、まさかテレビに映っていたとは……」 ■来年も給水係にチャレンジするのか? レース後、古川選手は納得のいくタイムが出なかったことを悔しがっていた。だが八田教授は、「復路のエース区間を18位で走れたことは胸を張っていい」と、その健闘をたたえる。 29歳の学生ランナーと、65歳の給水係。学生連合ならではの多様性と、誰にでも箱根に出られるチャンスがあることを世に伝えられたのは、一つの意義があったと八田教授は感じている。 そしてなにより、二人にとって忘れられない思い出になった。 「私はこの春、定年で大学を去ります。箱根駅伝に関わった最初の年に伴走車に乗って、最後の年に給水係になれた。その機会を提供してくれた古川には感謝しています。古川も、『初めて箱根に出た東大院生』というだけでなく、『横浜でじいさんから給水を受けた古川くん』として名が残る可能性もあるわけで、お互いにとってよかったという気がします」 再び給水係にチャレンジする可能性については、「ないですね(笑)」とのこと。来年、沿道でひときわ熱い視線をおくる白髪・長身の男性がいたら、かつての“給水おじさん”かもしれない。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
大谷百合絵