米国人はなぜヤード・ポンド法を「好む」のか、実は国はずっとメートル法を推奨
なかなか進まない切り替え
メートル法はすぐさまフランスで採用されたが、一般市民が新方式を取り入れるのに時間がかかるのは世の常だ。導入は遅々として進まなかったが、メートル法は世界中の科学者に電気ショックのような衝撃を与え、電気や磁気などの定義にメートル法が使われるようになっていった。 やがて、メートル法の概念が広まり始める。1866年になる頃には米国でも採用され、同年、商取引でのメートル法の使用を認める法律が可決された。 ゆっくりではあるが、メートル法は米国内に広く知られるようになる。最初は、度量衡の標準化のため、各州に提供された真鍮製の原器によるところが大きかった。 その後、1875年に米国、ドイツ、ロシア、フランスなどの大国によってメートル条約が締結されたことも、後押しとなった。条約を機に度量衡の国際的な運営機関が設立され、米国がメートル法に切り替わる道が大きく開かれた。 ところが、米国内での普及は依然として進まなかった。その間、科学者たちがメートル法の改良を重ね、多くの分野に適用を広げていったにもかかわらず。 1960年を迎える頃には、メートル法は電圧や速度、熱容量、放射輝度に至るまで、地球上のありとあらゆるものを網羅し、近代化された。この年、国際単位系(SI)が定められ、世界中で採用された。 米国以外の国々は着々とSIを採用し、道路標識や容器を変え、学校ではメートル法を教えた。何年も遅れをとっていた英国でさえ、他のEU諸国と足並みをそろえようと、メートル法を広く取り入れた(EU離脱後、メートル法反対派は「メートル法の使用を止めるべきだ」と主張、議論を呼んでいるが、その案はまだ採用されていない)。 メートル法の採用が国際的に広がり、連邦政府も使用を促す方針を強めたものの、米国の足取りは重いままだった。メートル法は複雑で導入費用がかかりすぎると主張する企業経営者、「外国」の影響を快く思わない議員、連邦政府による大々的な採用は州の権利を侵害しかねないとする論争などが、抵抗に拍車をかけた。 その結果、混乱が生まれた。1975年にメートル法転換法を制定し、米国は正式にSIを国家として推奨すると宣言したが、連邦政府機関においてさえ、産業、教育、商業、日常生活でのメートル法の採用に向けた動きは鈍かった。 道路標識が一例だ。メートル法転換法の施行後、連邦政府当局は米アリゾナ州に新設した州間高速道路をSIのシンボルにしようと、マイル標識ではなく、キロメートル標識を設置した。しかし、運輸当局は、高速道路網の他の場所に、メートル表記のみの標識の設置を広げようとはしなかった。 「今も米国内ではヤード・ポンド法とメートル法の両方が広く使用されている」とベンハム氏は言う。そして、「私たちは、単位が混在するリスキーな環境に身を置いているのです」と指摘する。併記ラベルは一般的になっているし、定規や道路標識、工具をよく見ればメートル法の表記があることも多い。そのために計算ミスや混乱が生じ、大きな損害を招くこともあろう。 「(メートル法を)推進するリソースや技術者を持ち合わせた大企業では、メートル法の採用が戦略的優位性をもたらすことを即座に理解し、最善策を取って先に進むことができています」とベンハム氏は説明する。「しかし、中小企業や個人の場合は、メートル法への切り替えにはサポートが必要です。生まれたときからメートル法が見につくように次世代の子どもたちを教育しようとしている人々に対する支援体制も欠かせません」