「妻に映像の世界に戻ってほしかった」今泉力哉監督が妻・今泉かおりと『1122 いいふうふ』でタッグを組んだ理由
「共感」がすべてではない
――いちこがおとやんに認めている「婚外恋愛許可制」、いわゆる公認不倫は、思考実験としてはすごく面白いですが、人によっては「共感できない」「嫌悪感がある」という意見もありそうです。 力哉:そもそもを言うと、僕は創作する際、「共感」ということにずっと疑いを持ってるんですよ。今って、「共感できたから面白い」「共感できないからつまらない」という単純な軸ひとつだけで語られたりする時代じゃないですか。あるいは、「理解できた/できなかった」とか。 「共感」や「理解」が何を指すかにもよりますが、少なくとも僕は、作品を観てくれた方が「他の人はまったく理解できないかもしれないけど、これって私が悩んでることそのものだ!」という感想を持ってくれることを目指したいんです。「全員が共感できる」「全員が感動できる」は、あまりやりたくない。その人が「自分の個人的なこととして観れる」という意味での「共感」なら喜んで目指したい。 『1122』はまさにそういう作品だと思います。登場人物たちに共感できない、行動原理を理解できない、という人もいるでしょうが、登場人物たちと同じように悩んでいる人、登場人物たちの行動に救われる人も、きっといる。「届く人には深く届く」作品だと思います。 ――共感できるできないの話でいうと、原作前半の志朗はかなりモラハラ気味なので、その志朗と復縁しようとする美月に「え?」と感じる人もいるでしょうね。 力哉:全部を理解されなくてもいいと思うんです。僕が作品づくりするときの話をすると、自分が「理解できる」要素だけで人物を造形すると、その人物も描かれる世界はめちゃくちゃ小さくなっちゃうんですよ。「僕は理解できないけど、そういう思考回路も世の中には存在するし、そういう生き方をする人もいるんだ」っていうキャラクターを描かないと作品の世界は広がらない。 オリジナル脚本ではなく原作ものをやるときの良さって、そこなんです。自分の中からは発想できないような人たちが、そこにはいる。世の中には、まだまだ自分の「知らない」人がたくさんいるんだなと痛感します。他人って面白いんです。 僕は志朗も含めて、この作品の中に人たちはみんな真っ当だと思っています。真面目すぎたり、嘘が下手だったり。器用に調子よく生きられないだけで、とても魅力的な人たちだと思っています。 ◇続く後編「高畑充希と岡田将生の演技に驚いた…! 監督・脚本の今泉力哉・かおりが『1122 いいふうふ』の現場で感じたこと」では、キャスティングの理由や現場での俳優陣に対する印象、一子と二也の出した結論について語ってもらった。
稲田 豊史(ライター、コラムニスト、編集者)