タレント・青木さやかさんが語る「がん」世界が一瞬で色を失った
自覚症状がまったくないまま 偶然見つかった肺腺がん。最初に思ったのは 「母に知られたくない」ということでした。(青木さやかさん) 【写真】50代の年齢による「疲労や不調」
経過観察を経ての告知。世界が一瞬で色を失った
’90年代、女性の本音をこめた斬新な“キレ芸”でお笑い界のスターダムを駆け上がった青木さやかさん。バラエティ番組への出演に加え、俳優としての舞台や映画への出演と精力的に活動していた時計の針がひと時止まったのは、’17年。初期の肺腺がんと診断された瞬間だった。 「その3年前に受けた人間ドックで、肺に影が見つかっていたんです。その時点では診断がつかず、3カ月おきに検査をして、あるとき先生から『がんですけど、どうしますか?』とサラッと。本当に驚きました」 それまで色のついていた世界が「一瞬でグレーになった」と青木さん。がん家系を自認し、心のどこかで可能性を感じてはいたものの、実際に診断を聞いた衝撃は大きかった。 「そのとき1回だけ、車の中で泣きました。でも、そこからはどんどん動かなければならなかった。事務所に伝えることもそうですし、どこで治療をするか、手術をするかしないか、などすべて自分で選択していかなければならなかったんです」
プライベートでは、まだ幼い娘とのふたり暮らし。決まっている仕事のこと、手術で入院する間の娘の世話について、と山積みの課題を前にゆっくり悲しんでいる暇はなかった。 「『娘のためにも死ねない』と思ったし、がんだからって死ぬわけでもないんだ、と。思えば、疑わしいといわれて経過観察を続けていた時期は、とてもストレスでした。がんそのものより、不安のほうが日常を脅かすものだと思いました。人に頼ることには慣れてなかったので、ひとりで決めて、ひとりで入院。幼い娘のことは別れた夫や友人に頼みました」 仕事柄、急な休業の理由を公表しなければならなかった青木さん。ただ、彼女にはたったひとりだけ、罹患したことを知らせたくない相手がいた。10代のころからお互いを受け入れられず、大人になっても複雑な感情を抱え続けてきた母もまた、そのころ、がんと診断されていたのだ。 「よけいな心配はかけたくなかった。全国的に知られていいと思っても家族には知られたくない……そういうことだって、ありますよね」