夏こそ歌舞伎!『裏表太閤記』で松本幸四郎が3役と宙乗りに挑む
七月大歌舞伎の夜の部は『裏表太閤記』が初演から43年ぶりに上演されている。豊臣秀吉、鈴木喜多頭重成、そして天界の孫悟空の3役を演じる松本幸四郎さんは、早替りあり、宙乗りありの大活躍。歌舞伎の魅力がたっぷり詰まった本作の見どころを語っていただいた。撮り下ろしの舞台写真とともにお届けする 松本幸四郎、『裏表太閤記』撮り下ろしの舞台写真
『裏表太閤記』は多くの復活狂言の創出に取り組んでいた三代目市川猿之助(二世市川猿翁)が手がけた作品で、1981年に奈河彰輔の脚本、六世藤間勘十郎(二世藤間勘祖)の演出・振付で上演された。本作はその名の通り、豊臣秀吉の出世を描いた輝かしい「表」の物語と明智光秀をはじめとした悲劇的な「裏」の物語を、巧みに虚実を混ぜ合わせて描かれたもの。新たな構想での再演となる今回は、本水(本物の水を使う演出)を使った大立廻り、宙乗り、早替りなどのケレン味溢れる演出や所作事(舞踊)など、歌舞伎の魅力を凝縮した舞台となっている。 序幕は明智光秀の父親で極悪人の松永弾正が織田信長軍に包囲され、息子に御家再興を託して、自らが放った火で最期を遂げるところから始まる。復讐心を抱いている光秀は、信長から耐えがたい屈辱を受け、本能寺で信長を討つ。一方で信長の嫡子である織田信忠との間に三法師という男子を設けた光秀の妹・お通の物語が描かれている。 二幕の始まりは秀吉から水攻めを受けた備中高松城の軍師・鈴木喜多頭重成と息子・孫市の悲劇から。さらに、お通が嵐を鎮めようと三法師を秀吉に預けて海中に身を投じ、その思いを讃えた大綿津見神から秀吉はご加護を受け、琵琶湖の坂本の大滝で光秀と死闘を繰り広げる……。 大詰では天界での孫悟空の活躍が描かれるが、それが“猿”と呼ばれていた秀吉の夢だったという趣向を舞踊仕立てで展開し、大坂城の大広間に名だたる諸大名が勢揃いして三番叟を踊ることで幕が閉じるという壮大なスケールの物語だ。 ──今回の振付と演出は藤間勘十郎さんがなさっています。勘十郎さんならではのアイデアや初演と再演との違いなどについて教えてください。 松本幸四郎(以下幸四郎): 勘十郎さんは今回、初めて三代目猿之助歌舞伎を単独で演出されるとのことですが、歌舞伎に関する引き出しをたくさん持っていらっしゃる方なので、さすがだなと思いました。まずは初演をいろいろと検証されて、初演では場面や役によって年代などが異なる拵えだったのを、今回は時代を統一しています。お通に関しては、時代物の拵えにすることで、その役割がより引き立つとお考えになったのだと思います。 ドラマとしては二幕目で終わって、三幕目は2つの所作事にするという構成にされました。 初演と比べて一番大きな違いがあるのは、二幕目の鈴木喜多頭重成と息子の孫市が登場する場面です。初演では孫市が死ぬのですが、今回は倅に自分の首を討たせて親の喜多頭重成が死ぬという設定に変更しました。 また、登場人物を実名にしたこと、大詰の西遊記の場面が夢として描かれていたのを、西遊記に至るまでのすべての物語が夢だったことにしたのも初演と異なります。 二幕目に本水を使った立廻りがありますが、その場面も新たに加わった演出です。 ──幸四郎さんのアイデアで変えた部分はありますか? 幸四郎:基本的には勘十郎さんが打ち合わせを重ねて創り上げてこられてきた作品なので、その中の部分的なことですね。例えば自分の拵えですが、早替りに関していえば喜多頭重成から秀吉になるということは本来なら顔の化粧をし替えることはまずあり得ません。時間的に足りないからです。でも、3日間の稽古の際に、もしかしたらできるのではないかと考えました。喜多頭の顔が白塗りでないことは台本を読んで思っていたので、どうやったら化粧を変えることができるのかを衣裳の脱ぎ着の段取りも含めて真剣に考えました。 ほかには序幕の(市川)中車さんが演じる弾正が亡くなる場面でも、茶釜を壊して火を付けて自害しますが、これは史実にあるエピソードなのでそこにこだわりました。小屋が燃える中に一人で堂々といて、自分の最期を自分で閉めるというのは、台本にもあるのですが、それを形にしたいと思いました。また、わからない程度のことなのですが、二幕目の最初に秀吉が登場するときは、照明の効果を狙って明るさを調整してもらいました。 ──稽古は連日遅くまで行われていたそうですが、どのようなことが大変でしたか? 幸四郎:昼の部の演目の稽古もありますから、丸1日かけて稽古ができるわけではありません。稽古の期間も短いことから時間は少ないのですが、道具、拵えなどスケールの大きな作品なので、それなりの時間は要します。1つのタイミングに何十人もの人たちが合わせていかなければなりません。僕は序幕には出ていないので、序幕を見ながら待っていて、二幕目の稽古が始まった時はかなり時間が経っていたと思います。そこから大道具の転換や宙乗りのタイミングなど、演出の勘十郎さんが指揮者となって、打ち合わせをしながら舞台を創っていきました。 ──二幕目では松本白鸚さんと幸四郎さん、そしてご子息の市川染五郞さんのお三方が舞台で共演される場面がありますが、親子の役で共演するときはどんな気持ちで演じますか? 幸四郎: 僕自身は何とも思わずに演じていますが、染五郎は彼なりに考えることがあるようです。ご覧になる方も親子だと思ってご覧になりますし、演じる立場からしてもそれが前提で成立します。さらにいえば、本物の親子でなければできない作り方というものは、確かにあると思います。ただ、喜多頭親子は全く次元の違う親子だと思うので、意識して自分に当てはめてしまうと小さくなりそうですし、今の生活感が出てしまってはいけないと気をつけています。 最近の染五郎は役の気持ちを通そうというのが感じられますので、そういう意味では戦力の一部になったのかなとは思います。特にドラマとして核になる部分には義太夫が入っているので、そういう表現をしっかりと見つけてほしいと思います。なかなか気持ちがついていかない難しい部分はありますが、それが歌舞伎なのです。 ──今回の作品の見どころを教えてください。 幸四郎:表現の仕方、その形、動き、台詞、気持ちの持っていき方など、歌舞伎でなければ成立しない作品であり、歌舞伎のすべてが詰まったお芝居だと思います。色彩的にも音楽的にも、また義太夫の部分があるのでドラマとしても見応えがありますし、本水での立廻りや宙乗りというケレン味もあります。光秀が信長から恥辱を与えられる「馬盥」の場面では、上敷(じょうしき)を一気にバーッと舞台に敷くのも演出の一つで、客席から大きな拍手が起こりますが、これは役者だけでなく、大道具のスタッフも活躍しているということです。実際に大変な技術なのでそれがお客様にも伝わっているのだと思います。そういった部分も含めて、楽しんでいただければと思っています。 松本幸四郎(MATSUMOTO KOSHIRO) 東京都生まれ。1973年3月、歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を襲名して初舞台。81年10月、歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。18年1月、歌舞伎座 高麗屋三代襲名披露公演『壽 初春大歌舞伎』で十代目松本幸四郎を襲名。父は二代目松本白鸚、息子は八代目市川染五郎。