「食料はどうかき集めても足りない」台風で遭難→豪雨で夜を明かし、暖かそうなテントの幻覚まで…あり得ない惨劇の“顛末”
倒木がひどい、ケガをしたY君の足は…
翌8月3日、午前2時に目が醒めたが外はどしゃ降りなのでまた眠った。3時に起き、ボンカレーをなめた。クラッカーも3、4枚ずつ配給があった。 どしゃ降りが続いているので、小屋へ古鍋とやかんを返しに行くことを断念した。 午前6時ころ、雨は小降りになったので仙丈ヶ岳へ向けて出発することになった。 午前6時15分。野呂川越を出発した。倒木がひどい。D大の誰かが木の下敷きになっているのではないかとびくびくしながら進んだ。 Y君の足も心配だったが、空荷なのでなんとか歩けるようだ。 午前8時30分。伊那荒倉(いなあらくら)岳に着いた。風は強かったが、樹林帯の中で木の雫に濡れるのが嫌だったので、あえて伊那荒倉岳のピークで一本をとった(小休止した)。 午前8時50分に出発し、10時30分、大仙丈ヶ岳付近で休憩し、チョコレートを半分ずつ食べた。風が激しく、時々息もつけないほどであったが、耐えるしかなかった。 「俺たちゃあ、何のために両俣に行ったんだろうなあ。ついおととい、この道通ったんだよなあ」 「両俣ピストンしたパーティーなんてそうざらにあるもんじゃないなあ」 荷物もだいぶ失い、ビバークの時には幻覚を見るほどの事故に遭ったにもかかわらず、にえくり返るような悔しさというものはなかった。ただただ、大自然の猛威の中で、不思議なくらい素直な気持ちを味わっていた。
生きているのが不思議な気がしてきた
午前10時40分出発し、午前11時30分、仙丈ヶ岳を通過した。 もう少しだ。もう少しで長衛(ちょうえい)荘に着く。小屋に着けば飯が食えるぞ。そのことだけが励みであった。 ガスが晴れてきて、仙丈ヶ岳の大カールも見えた。小屋が一つポツンと見えたが、周囲に人影は見えない。雪渓はだいぶえぐり取られていた。荒涼とした景色であった。 小仙丈ヶ岳を通過し、午後2時、長衛荘に着いた。 8月4日は、午前7時20分、小屋を出発し、荒れ果てた林道を通って戸台まで歩いた。そこからタクシーで伊那市まで出たのだが、途中の戸台口(とだいぐち)では、今回の台風で大きくえぐられた仙流(せんりゅう)荘と、仙流荘前の道路や広場を見た。すさまじいものであった。人的被害はなかったと聞いて安堵したが、今さらながらに台風10号の暴れようを知った。美和(みわ)湖でも驚いた。美和ダムの人造湖一面が流木で埋められていた。 自分たちがこうして生きているのが不思議な気がしてきた。 ようやく伊那駅に着き、午後5時30分、甲府駅に着いた。そこで北岳の肩ノ小屋で台風10号に遭遇した女子パーティーと出会い、お互いの無事を喜び合った。
桂木 優/Webオリジナル(外部転載)
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