なぜ港区OLが“海外”のマラソン沼にハマったのか?「日本は『速く走る』ことへのこだわりがズバ抜けている」<RS of the Year 2023>
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、ラグビーワールドカップ、サッカー・FIFA女子ワールドカップ、世界陸上、バスケットボール・FIBAワールドカップ……数々の世界大会が開催され、多くのアスリートの活躍に心揺さぶられる1年となった2023年。一方で、小野伸二さん、石川佳純さん、岩渕真奈さんなど、長く第一線で競技を背負ってきたレジェンド選手たちが現役引退を決意したことも印象的な一年となった。そこで、結果や勝敗だけではないスポーツの本質的な価値や魅力を伝えてきた『REAL SPORTS』において、2023年特に反響の多かった記事を振り返っていきたい。今回は、世界各国のレースに参加するというユニークなマラソン生活を送る、港区OLのイマドキ女子・鈴木ゆうりさんのインタビュー記事だ。 (2023年2月24日公開) =================================
日本は世界の中でもマラソン人気が高く、最近ではコロナ禍にランニングを日常的に行う人も増え、推計実施人口1055万人といわれている。タイムを重視する本格派から運動不足解消のためなど、目的はさまざまある中、港区OLのイマドキ女子・鈴木ゆうりさんは一味違うマラソン生活を送っている。大学在学中から海外でのマラソンをスタートし、卒業後はOLをしながら海外でのマラソンに出場するため世界中を旅しているという。これまで38カ国、48レースに出場してきたという彼女が、なぜ国内ではなく海外のマラソンにハマったのか? そのユニークすぎる背景に迫る。 (インタビュー・構成=阿保幸菜[REAL SPORTS編集部]、写真=本人提供)
マラソン沼にハマるきっかけとなった、友人の一言
――鈴木さんは、港区OLとして働きながら「海外マラソンコレクター」として世界中のマラソンレースに参加するライフスタイルを送っていますが、マラソンを始めたのはいつ頃だったんですか? 鈴木:2015年に初めてホノルルマラソンに出てから、毎年参加するようになりましたね。 ――もともと普段からマラソンは走っていたんですか? 鈴木:いや、全然! 「走ってみよう!」となったのは、レースの前日だったので(笑)。 ――前日!? すごいですね。 鈴木:大学3年生のときに友だちとハワイに行って、「ISLAND SLIPPER(アイランドスリッパ)」という、日本では買えないブランドのサンダルを爆買いしようぜ、みたいな感じでアラモアナショッピングセンターに行ったんですけど。やけに日本人が多かったので、ショッピングセンターのインフォメーションの人に聞いたら、「2日後にホノルルマラソンがあるからじゃない?」と教えてくれて。そうしたら友だちが、「ダイエットで最近走ってるらしいじゃん。出れば?」みたいに言ってきたんです。それで、前日までエントリーすることができたので、急きょ出ることにしました。 ――女子旅から突如マラソンレースに参加することになったんですね。 鈴木:はい。前日もラニカイビーチへサイクリングに行ったり、まったく「42.195km走る前日の人」ではなかったです(笑)。 ――ツッコミどころ満載なのですが(笑)、もともと運動するのは好きだったんですか? 鈴木:いや、全然です。体育は超嫌いでいつもサボっていました。しいて言うなら、小学生のころ朝が苦手だったので、遅刻しそうになって走って行っていたくらい。それもだんだん疲れてきて、本当はだめなんですけど、途中まで自転車で行ってスーパーに置いてそこから歩いて通学していたら、学校にバレてめちゃめちゃ怒られたことがあります(笑)。 でも、ホノルルマラソンに出た当時は、ちょうどダイエットのために走っていたので5kmだけは走れていたんです。でも人生で走った最長距離が5kmでした。大学に入ったころは身長167cm・体重48kgだったのが、ピークのときは68kgくらいになってしまったんですよ。友だちに「顔に肉が付き過ぎて、口の動き鈍くね?」と言われて「はぁ!?」って(笑)。それが走り始めたきっかけでした。 ――ダイエットの方法としてさまざまな選択肢がある中で、なぜ「走ること」に決めたんですか? 鈴木:食べることがすごく好きで、当時は回転寿司に行くと30皿くらい食べちゃうようなタイプでした。なので、食事制限は無理だなと。それで、友だちに勧められたジムに行こうとしたら会費が2万円くらいして。運動するのにお金を払うくらいなら、道を走るだけならタダじゃん、みたいな。それで最初は1kmくらいから走り始めました。 最初のころはきつすぎて吐きそうでしたが、だんだん距離を延ばして5kmくらい走れるようになったんです。そこから半年くらいで体重も減っていきました。中高生時代は美術部、大学時代はピアノサークルと文化部に入っていたので運動をまったくしてこなかったというのもあったと思います。 ――それはすごいですね。そんな中でいきなり42.195kmを走って以来、今にいたるわけですが、最初に走ったホノルルマラソンが楽しかったからですか? 鈴木:それがもう、めちゃめちゃきつかったです。6時間20分くらいで一応完走しましたが、「二度と出るかこんなもん!」と思いましたね。ホノルルマラソンって制限時間がないので、リタイアするか歩いて戻るしかできなくて……。 ――参加を勧めてくれたお友だちも一緒に出たんですか? 鈴木:いや、フラペチーノを飲みながら待っていました。 ――1人で完走したんですね! 鈴木:はい。マラソンのあと、ワイキキのステーキ屋さんで食事していたときに、友だちから「女子の平均タイムって5時間15分らしいよ。かなり負けてるじゃん」みたいに言われて。 ――ズバッと言いますね(笑)。 鈴木:当時ギャルだったのでパンチの強い友だちが多くて(笑)。そう言われて腹が立って、成田空港から帰る電車の中で、その2カ月後に行われたロサンゼルスマラソンにエントリーしました。 ――日本国内でもマラソンはやってるのに、なぜまた海外のマラソンにエントリーを? 鈴木:ホノルルのマラソンのときに、ロサンゼルスマラソンのチラシをもらったのがきっかけです。当時大学で留学生サポーターというのをやっていたんですが、南カリフォルニア大学の友だちが多かったというのもあり、友だちの家に転がり込んで、走って帰ろうかなと(笑)。