レイズ移籍の上沢直之と専大松戸の恩師・持丸監督の絆!名将の一言がMLBの道へつながった!【主筆・河嶋宗一コラム『グラカン』vol.3】
皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋宗一です。私・河嶋が「これまでグラウンドで見てきた感動シーン」(略して『グラカン』)をみなさまにお届けしています! 【一覧】2023年 プロ野球 引退・退団・戦力外・トレード・移籍選手リスト 3回目はレイズ移籍が決まった上沢 直之投手の専大松戸時代を振り返っていきます。 上沢投手は、日本ハムのローテーション投手として活躍し、通算70勝、投球回数1118.1回と在籍12年で、一流投手に相応しい活躍を残しました。千葉の高校野球をずっと見てきている私からすれば、名門と呼ばれ、さらに好投手を次々と輩出する専大松戸の先駆者的な存在だと捉えています。
専大松戸を名門に、上沢投手をプロに送り込んだ持丸監督の存在
母校でもある専大松戸は2015年夏の甲子園初出場から現在まで、夏は計3回、選抜は計2回出場しており、昨秋の関東大会にも出場し、千葉の高校野球をリードしています。 そんな専大松戸を強くして、そして上沢投手をプロ野球に導いたのが持丸 修一監督です。持丸監督は竜ヶ崎一出身で、選手としては1966年夏の甲子園に出場。27歳で母校の監督に就任。1990年夏に甲子園出場。その後、異動した藤代でも甲子園出場に導き、2003年9月には茨城の名門・常総学院の監督に就任し、ここまで3度の甲子園出場に導きます。まさに甲子園請負人である持丸監督が専大松戸の監督に就任したのは2007年12月となります。 当時の専大松戸は2006年にベスト16入りしていますが、2007年夏は初戦敗退に終わり、低迷期に入っていた時期でした。就任して最初の夏は2回戦敗退。そして2009年、上沢投手が入学します。この世代は入学から持丸監督のもとでプレーする節目の世代で本格的に強化をしていました。 上沢投手とともに140キロ台の速球を投げ込む投手として注目された林田 かずな投手(専修大)、スラッガーとして注目された重野 雄一郎外野手(専修大-JR東日本東北)など投打に能力の高い選手が揃っていました。その専大松戸の選手たちのポテンシャルの高さを実感させられたのは、彼らが2年春となった県大会です。 2回戦でセンバツ帰りの東海大望洋(現・東海大市原望洋)と対戦。打線は速球投手の長友 昭憲(東海大-JFE東日本)を攻略し、計9得点。上沢投手は7回12奪三振の快投で、投打ともに東海大望洋を圧倒し、コールド勝ちを収めました。 その時の上沢投手の投球を目の当たりにして、衝撃を受けました。縦振りの投球フォームから繰り出す140キロ台の直球、縦に鋭く落ちる変化球で次々と三振を奪う投球に魅了され、その後も追いかけるようになりました。 上沢投手は千葉の強豪校と名勝負を演じる投球を見せていきます。2年秋には優勝候補・習志野相手に1対0で完封したり、2年夏では初戦で鈴木 康平投手(巨人)擁する千葉明徳と対戦。プロ注目右腕同士の対決に多数の球団スカウト、マスコミが集結したことを覚えています。試合は6対6の引き分け再試合となり、再試合では5対2で勝利しましたが、4回戦の東京学館浦安戦に敗れ、上沢投手は甲子園に出場することなく、夏を終えることになりました。 それでも上沢投手の3年間で専大松戸はかなり地位を高め、常に甲子園を狙える強豪校にステップアップした時期だったと思います。同時に人気も高くなり、優秀な選手が絶え間なく専大松戸の門を叩くことになりました。この世代の成長がなければ強化は順調に進んでいなかったかもしれません。