「どうして裸になんて…」生きることに必死だった伝説のストリッパーが「脱ぐこと」を決意した日
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【マンガ】「だから童貞なんだよ」決死の覚悟の告白に女子高生が放った強烈な一言 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第29回 『赤ん坊のために牛乳を盗む…伝説の踊り子がパチンコ狂いのカネなし男と結婚した理由』より続く
「柏崎」という偽名の由来
和子がストリップに入った時期や経緯については、あいまいな点が多い。のちに公然わいせつ事件で逮捕されたとき、彼女は警察で、こう供述している。 「食べていけないので、東京のキャバレー・ショーボートに女給として働きにいきましたが、ここはヌードダンサーを養成しており、私自身踊りが好きだったことからヌードダンサーにしてもらったのです」 生まれたばかりの赤ん坊を抱いて街を歩いているとき、ショーボートの募集広告が目に留まった。和子にとっては、日払いの給料が魅力だった。 当時のダンサーは陰部や乳房を隠していた。一条は警察の調べに、「ヌードダンサー」と述べているが、ブラジャーやパンツを付けて踊っていたようだ。 ショーボートは終戦から3年後、銀座8丁目で開店している。現在リクルート・ビルの建つ辺りだ。主に進駐軍の下士官を相手にしたキャバレーで、ミシシッピ川を渡る蒸気船「ショーボート」をモチーフに、店内を装っていた。 米作家のエドナ・ファーバーが26年、その蒸気船を題材に小説を書き、その後、それがミュージカルとなってヒットした。和子が勤めたのは、米兵に故郷を懐かしんでもらうために工夫されたキャバレーだった。 店名に「ボート(船)」が付いているためだろう、ここのホステスたちはみんな源氏名を港町からとっていた。和子はこのとき、「柏崎」と名乗った。確かに新潟には柏崎港がある。彼女がその後、出身を「柏崎」と偽ったのは、このキャバレーでの源氏名が理由だった。