首里城、2026年秋に正殿再建 過去に5度焼失も立ち上がる 沖縄
琉球王国の象徴として政治、経済、文化の中心地であった首里城は、過去に5度、失火や戦乱で焼失し、そのたびに再建されてきた。 【年表】首里城の歴史をたどる 最初に建てられた詳しい年は明らかになっていないが、15世紀前半に築造されたと推定されている。中山の尚巴志が1429年に三山を統一し、首里城を拠点とした琉球王国が成立した。1427年に製作された琉球最古の金石文の「安国山樹華木之記碑(あんこくざんじゅかぼくのきひ)」には、明国から派遣されたとされる国相・懐機が、首里城の外苑(がいえん)を造成し龍潭(りゅうたん)を掘り、樹木を植えたことなどが書かれている。 1453年に王位継承を巡る「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」が起こり、首里城は炎上した。尚円が第二尚氏王統を築くと、16世紀には北殿や後の守礼門などが造成された。1660年、1709年にそれぞれ失火により焼失し、その後再建された。首里城は1609年の薩摩による琉球侵攻や、1853年のアメリカのペリー提督来琉など、大きな歴史の節目で舞台となった。 明治に入り、日本政府は琉球王国を琉球藩とし、さらに廃藩置県によって沖縄県とした。1879年、政府は琉球国王に対して廃藩置県と首里城の明け渡しなどを命じ、琉球王国は終焉(しゅうえん)を迎えた。 1923年、首里市会は老朽化などにより首里城の取り壊しを決定。鎌倉芳太郎や東京帝国大の伊東忠太博士らの働き掛けで、城内に新設される沖縄神社の拝殿として首里城は保存された。 4度目の焼失は1945年。激しい地上戦が行われ、日本軍の第32軍司令部壕が首里城の地下に掘られていたことから首里城は米軍の攻撃目標とされ、一帯は壊滅的な被害を受けた。 戦後、首里城跡に琉球大が開学した。再建への機運が盛り上がり、1992年には首里城正殿などが復元された。2000年には世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして首里城跡が登録された。 19年10月31日の火災で正殿など7棟が全焼したが、火災直後から再建への機運が高まり、県内外、海外からも多くの支援が寄せられた。 「令和の復元」では、木材や塗料、瓦などで県産の資材を活用する点が大きな特徴だ。また、扁額の地板の基調の色が平成の復元時の赤から黄色に変更されるなど、新たな知見に基づき変わる部分もある。 25年の秋ごろには、現在正殿の工事現場を覆っている「素屋根」が撤去される見込みで、26年秋には正殿が再建される予定だ。新たな沖縄の象徴に、期待が高まる。
琉球新報社