生方美久は“家族”をどう捉えるのか 『海のはじまり』で描かれるのは『silent』の“外側”
作り手が視聴者を信用して全力投球している『海のはじまり』
とは言え、第1話は物語やテーマよりも、お互いの気持ちを探り合う役者同士の丁寧な芝居や風景を切り取った映像の美しさの印象の方が強く残った。 本作ではモノローグとナレーションが使われていない。説明的な台詞も最小限で、ギリギリまで台詞を削ぎ落としている。 映像で物語を語ろうとしているため、観ている時の緊張感が凄まじく、1話を見終えてクタクタに疲れてしまった。この濃密な映像体験は、作り手が視聴者を信用して全力投球していることの証明だ。 そのため、本作を観ていると作り手と真剣勝負をしているような気持ちになるのだが、これを毎週観ることができるかと思うと、嬉しくて仕方がない。 その意味でも『silent』の達成を踏まえた上で映像と物語も洗練させようという意思を感じる本作だが、一方で『silent』にあった善意で包まれた優しい世界の外側を今回は描こうとしているように感じる。 その外側を担っているのが、大竹しのぶが演じる朱音と池松壮亮が演じる津野晴明に。葬儀の場で夏と対面した2人は敵意に近い感情を抱えており、台詞や仕草の一つ一つに苛立ちが滲み出ている。対して、『silent』で確立した「静かで優しい世界」を引き受けているのが目黒蓮の演じる夏だが、彼の「優しさ」と「自分で物事を選択したくない」という「弱さ」が表裏一体であることに作り手は意識的で、だからこそ、夏を批判させるために2人を登場させたのだろう。 2人を夏にぶつけることで「静かで優しい世界」に何が生まれるのか? これからの展開に注目である。
成馬零一