食べたいけど食べられないことが幸せな特別なラーメン「あら~麵」
日本初の料理評論家、山本益博さんはいま、ラーメンが「美味しい革命」の渦中にあると言います。長らくB級グルメとして愛されてきたラーメンは、ミシュランも認める一流の料理へと変貌を遂げつつあります。新時代に向けて群雄割拠する街のラーメン店を巨匠自らが実食リポートする連載です。 山本益博のラーメン革命!
2004年9月新潟中越地震が起きた時、私が発起人となって「料理ボランティアの会」を立ち上げた。被害情報が伝えられて暫くたって、たまたま銀座の鮨屋「さわ田」を訪れた時、ご主人澤田幸治さんから「被災地へ出かけて行って、鮨、握りたいっす。鮨は誰でも好きですから」と言われた。 そこで、すぐに飯田橋の「ホテルメトロポリタン エドモント」で当時の総料理長だった中村勝宏さんに話を持ち掛けた。「ホテルの料理長に声をかけて、被災地へ料理のボランティア活動するチームを作りませんか?」と。
その第1弾が、翌2005年2月、越後川口に出かけたボランティア活動だった。「さわ田」「青空」「すきやばし次郎」の鮨チームが徹夜で作り上げた「ちらし」を持ち、「ホテルメトロポリタン エドモント」「帝国ホテル」「ホテルオークラ」「ホテルニューオータニ」を始めとするホテルレストランチーム、そして、稲村省三パティシエの声がけで集まったパティシエチーム、さらに、カレーの「中村屋」、ピッツアの「サルヴァトーレ クオモ」、ラーメンの「麵屋武蔵」各チームがバスに乗り込んで、越後川口の体育館に出かけた。
被災後すぐの「炊きだし」ではなく、半年近くたって、被災地のことが忘れられそうになったころを見計らって出かけたものだから、被災地の皆さんに「美味しいもの」がとても喜ばれた。
それから震災があるたびに、出かけられる時に、出かけられるメンバーが集まり、近年では東日本大震災の被災地へ出かけて料理ボランティアならではの活動を続け、「麵屋武蔵」チームが東北の石巻で作ったのが、魚の「あら」をベースにスープにした「あら~麺」だった。